「何もしないほうが得」消極的な日本人が増える背景 "自ら行動しない態度"が広がっている
このように自ら行動しないし何も言わないという態度が、組織のなかで働く人たちの「常識」として定着、もしくは定番の処世術として徐々に浸透してきているようである。
さらにその「常識」は組織で働く人だけでなく、日本社会全体に広がっている可能性がある。それを印象づけるシーンがあった。2017年8月に行われた夏の高校野球選手権大会の開会式。選手の入場が終わり、選手たちは各校のプラカードを掲げた女子生徒の後ろに並んだ。球場全体が静寂に包まれるなか、一人の女子生徒が突然、バッタリと倒れた。
周りの選手や生徒たちがただちに助けに行くかと思いきや、だれ一人として自分から助けようとしない。しばらくたってようやく大会関係者に救護され連れられていった。
自ら行動しない態度が広がる
このシーンはテレビの画面に映し出されたのでひときわショッキングだったものの、けっして特殊なケースではない。電車で痴漢に遭ったとき周囲の人は皆知らぬふりをしていたとか、雨のなかで倒れても目の前の人はだれも助けてくれなかったという体験談は山ほどある。むしろ助けてくれたという話が感動的な美談として語られたり、警察から表彰されたりするくらい「珍しい」のである。
いずれにしても日本人の間に、自ら行動しないという態度が広がってきていることはたしかなようだ。そして、それは少なくとも短期的には個人にとって合理的なのかもしれない。
一般に、人は過去の経験や想像にもとづいて損得を計算する。自ら行動することのプラス面としては獲得できる有形無形の報酬がある。そこには具体的な利益のほか、達成感や自己効力感(やればできるという自信)、周囲からの評価や承認、だれかのために役立てたという満足感など、心理的・社会的な報酬が含まれる。
いっぽう行動することのマイナス面としては、心理的負担感や周囲からの嫉妬・反発、注目されることの恥ずかしさ、想定外のリスクに対する恐れなどがある。これらプラス面とマイナス面を天秤にかけ、マイナス面のほうが大きいと判断すれば行動を控える。「見て見ぬふり」をするのもその一つである。時間的な余裕があればそれを頭のなかで冷静に計算するが、余裕がない場合は直観的に判断する。
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