「教科書は読めて当たり前」が子どもをダメにする 学校では教えない、学力を決める「シン読解力」

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RSTを通じて中高生の実態を知れば知るほど、彼らが社会に出ていく頃には、AIに仕事を奪われかねないと危機感が募るようになりました。そこで、「東ロボ」の成果とRSTを通じた「読解力」調査の成果をまとめ、2018年に『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』を出版したのです。

「数学大嫌い」から数学者へ

『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』が世に出ると、タイトル前半の「AI」より、後半の「教科書が読めない子どもたち」に注目が集まり、さまざまなメディアに取り上げられました。

「教科書くらいは誰でも読めるはず」と考えられていたことにフォーカスが当たったのはとてもありがたいことでしたが、一方で大きな違和感も覚えました。

「だから、国語が大事」「若者に読書をもっとさせなければいけない」という結論で締めくくるメディアや識者がとても多かったからです。

そんなわけがありません。学校図書館の本は読破し、国語では常にトップという成績でも、数学の教科書が読めないということはいくらでもあります。

まさに私がその例だったのです。

私は、「数学が不得意で大嫌いな文学少女」として中学高校時代を過ごしました。小学校高学年にはすでに算数の文章題が苦手だったような気がします。中学校の数学の先生には、「数学が苦手だから、高校は女子大の附属高校に行ったほうがいい。どうせ大学入試も数学で苦労するから」と突き放されたほどです。

実際、高校に進学してからも、毎回定期テストで足を引っ張られるのは数学でした。この世から数学がなくなったらどんなにいいかと思うほどでした。ただ、志望の大学は、マークシート式の一次試験だけでなく二次試験の筆記でも、数学ⅡBまで必須だったため、嫌々その勉強をしました。合格通知を手にしたとき私が最初にしたことは、数学の教科書と問題集をすべてまとめて石油缶の中に突っ込み、燃やすことでした。それほど数学を忌み嫌っていたのです。

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