被災地のシャッター通りで起業、高1と母の心意気 岩手県釜石市 スモールビジネスでにぎわいを
震災後の釜石では被災した子どもたちの放課後の居場所づくりや学習支援、国際交流など、さまざまな支援活動が始まった。国内外から復興支援のため、被災地に駆けつけた人たちも増え、宮崎さんのように住民と連携して地域活動を始める人たちも少なくなかった。
そんなさまざまな大人たちにかわいがられながら、梓さんの娘たちは大きくなっていった。「2人は、親が育てたというよりも、釜石の大人たちに育ててもらったという感じ。私も、娘たちも本当にまわりに育てられました」(梓さん)。
一方、多様な大人たちとかかわりながらのびのびと成長した娘の皐さん。従妹の影響で幼いころからファッションやメイクに興味津々で、お小遣いをやりくりし、リサイクルショップで古着やアクセサリーを探すのが好きだった。
家族で仙台に遊びに行っても「古着屋に行きたい」とせがむほどの古着好き。震災後にできたダンススクールで、ダンスにも夢中になった。
しかし、中学生になると人間関係に悩んで学校生活がうまくいかず、登校しようとすると体調が悪くなる日も。学校では1人で過ごすことが増え、自ずと勉強ばかりするようになった。
卒業後の進路として市外の進学校も狙える成績だったが、皐さんの「美容やファッションの仕事をしたい」という強い意志を知った両親は、その思いを尊重しようと話し合い、定時制や通信制など選択肢を増やすよう勧めた。
「高1で起業」、背中を押したのは母
ちょうどそのころ、母の梓さんは市民向けのスモールビジネスの起業塾を受講しており、講師に添削してもらう事業プランを練っているところだった。すぐに起業しようと決めていたわけではなかったものの、実現性のあるプランとして考えたのは、旧知の宮崎さんが活動する仲見世通りに出店する計画。
学校生活に悩む皐さんを元気づけたいという気持ちもあり、駄菓子屋と古着の店を併設する計画書を作成。皐さんに見せたところ、「おもしろそう!」と表情を輝かせた。
それを見て「だったら皐が起業しちゃえばいいんじゃない?」と提案した梓さん。母の言葉で視野が開けた皐さんは、通信制高校で勉強しながら「釜石に若者の居場所になるお店を作ろう!」と決意した。
釜石には、ファッションやダンスなど都会のように自由に表現できる場が少ないことから「ないなら、自分で作ればいい。釜石でいろんなことに挑戦している人たちを見てきたから、自分もやっちゃえばいいと思えた」(皐さん)。
古着販売に必要な古物商許可は18歳以上でないと取得できないため、母の梓さんが取得。古着の買い付け、店頭でのディスプレイなどは皐さんのアイデアをもとに2人で協力して行っている。その結果、2025年1月のプレオープンでは品薄になるほどの売れ行きだったという。
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