被災地のシャッター通りで起業、高1と母の心意気 岩手県釜石市 スモールビジネスでにぎわいを

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がれきの撤去や被災した建物の取り壊しが進む中で、梓さんが気に掛かっていたのは、被災地で育っていく子どもたちのことだった。「公園や校庭に仮設住宅が建ち、子どもの遊ぶ場所がなくなり、被災した子はおもちゃも失った。釜石の子どもたちの楽しみや娯楽が減ってしまったことが心配でした」。

思いついたのは、駄菓子という手軽なアイテムで子どもたちが楽しいと思える時間を作ること。被災地で開かれているさまざまな復興支援イベントの一画を借り、その日限定の駄菓子屋を開こうと考えたのだ。

夫の誠さんの実家が駄菓子屋を営んでいたことから、その協力を得て駄菓子やくじなどを仕入れ、イベント会場で即席の駄菓子屋を開いた。すると、さまざまな年代の子どもたちが集まってきて、周囲はにぎやかな声に包まれた。

その様子をブログやSNSで発信すると、全国の人たちから「被災した子どもたちに」と駄菓子やおもちゃなどが寄せられた。また、復興支援イベントの主催者や出店者たちとのネットワークも生まれ、震災前にはつながりのなかった人たちとの関係性が生まれていった。

餅つき
店のオープンを記念して、地域の人たちと一緒に餅つきで祝った(写真:筆者撮影)

まわりに支えられた子育て

当時、まだ小さかった2人の娘をイベントに連れていき、遊ばせながら接客することも多かったという梓さん。当時は子育てに悩む日々を送っていたという。

20代で2人を出産して直後に震災を経験し、「未熟な自分に子育てができるのか……」と不安になることも。「感情的に怒ってしまってその後で自分は母親に向いてないと落ち込むこともしょっちゅうでした」。

だからこそ、家にこもって子育てに専念するのではなく、外に出て「まわりの人たちに支えてもらいながら育てよう」そう考えたのだと振り返る。

小笠原さん親子
起業を決めた当時を振り返る2人。いつも笑いが絶えない仲良し親子だ(写真:筆者撮影)
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