「政府が果たす役割」についての考え方も正反対、現代アメリカを貫く「驚くほど真逆」な2つの正義

著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

こうしたリベラルの「正義」に対して、国家からの介入をいっさい取り払って、より個人重視の、自由な選択を行なおうというのがリバタリアン(libertarian)です。

これは実際のアメリカ政治では、共和党の経済的な政策(小さな政府)のバックボーンとなっています。では、リベラルの「正義」を批判するリバタリアンは、何を正義と考えるのでしょうか。

「自己所有」を重視するリバタリアンの「正義」

ロールズが『正義論』を出版してすぐに、その反論を展開したロバート・ノージック(1938〜2002)の議論を見ておきましょう。1974年に刊行した『アナーキー・国家・ユートピア』のなかで、ノージックは個々人の「別個性」と「自己所有」という考えに基づいて、「自由」の考えをリベラル以上に強調しています。

あらためていうまでもありませんが、私たちはみな、それぞれ違った生活を送っていますし、まったく別個の存在です。各人は、自分の身体の所有者ですし、自分の生活や行為に関して、自分で決定することができます。

この何でもない当たり前のことから、ノージックは「正義の権原(entitlement、エンタイトルメント)理論」を導くのです。「エンタイトルメント」というのは、「資格」とか「権利」とも訳すことができる言葉です。これをノージックは、所有の正当性を示すために使っています。

たとえば、だれの所有物でもないものを獲得するとき、あるいは他人の所有物を売買などで正当に入手するとき、不正は行なわれていません。言い換えると、他人のものを盗んだり、嘘をついてだまし取ったりしたのではありません。

そのような不正が行なわれていない場合には、「権原をもっている」といわれるのです。ノージックの場合、「権原」があるかどうかが、「正義(正しさ)」の重要な原理となるのです。

つまり、正当な方法によって獲得した自分の所有物については、身体に対する権利と同じように。エンタイトルメント(権原)をもっているのです。そのため、極端にいえば、餓死しかかった他人がそばにいたとしても、自分の所有物を他人に分け与える義務はないのです。

もちろん、慈善行為として分け与えることは否定されませんが、だからといって、他人に分け与えなくても「不正(義)」になるわけではありません。ここから分かるように、リベラルが主張するような所得の再分配は、ノージックにとって認められないのです。

次ページ「最小国家」(小さな政府)の役割
関連記事
トピックボードAD
キャリア・教育の人気記事