「政府が果たす役割」についての考え方も正反対、現代アメリカを貫く「驚くほど真逆」な2つの正義

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こうしたリバタリアンの考えからすれば、リベラルとは違って国家としては、「最小国家」(小さな政府)をめざすことになります。ノージックによれば、「最小国家」の役割というのは、「暴力・盗み・詐欺からの保護、契約の執行」などに限定されます。

つまり、侵略行為から市民を守り、警察や裁判所によって市民を守ることです。それ以外のことは、市民に対する権利の侵害であり、不当だと見なされます。

所得の再配分や福祉政策は国家の「越権行為」

通常だと、国家にはその他の役割も属しています。たとえば、公共サービスを提供したり、福祉政策を実施したりすることです。また、国家は道徳や教育・文化などに関して、市民生活にさまざま干渉しています。

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ところが、リバタリアンの立場からすれば、国家が個々人の生活に介入して、所得を再分配したり、福祉政策を実施したりするのは、まったくの越権行為なのです。

自分が正当な手続きによって稼いだものを、他の人よりも豊かという理由で、税金としていっそう多く徴収するのは、国家による盗みにほかならない、と考えるのです。

リベラルとの違いを理解するため、才能豊かなスーパースターの例を考えてみましょう。その人物は、自分の才能によって莫大な収入(たとえば100億円)を得ることになったとしましょう。このとき、国家としてどうすることが「正義」になるのでしょうか?

リベラルだと、こうして得られた莫大な収入に対して税率を高くして課税し、社会的に再分配すべしと主張するでしょう。

こうして、極端な場合そのスーパースターは、99億円が税金で徴収され、手元には1億円が残ることになります。徴収された税金によって、恵まれない人々が救済されるのです。

これに対して、ノージックは「勤労収入への課税は、強制労働と変わらない」といって、再分配にきっぱりと反対するわけです。「権原理論の観点からするなら、再分配は、実際のところ人びとの権利の侵害をともなうから、実に深刻な問題である」(『アナーキー・国家・ユートピア』)。

(出所:『知を深めて力にする 哲学で考える10の言葉』より)

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岡本 裕一朗 玉川大学 名誉教授

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おかもと・ゆういちろう / Yuichiro Okamoto

1954年福岡県生まれ。九州大学大学院文学研究科哲学・倫理学専攻修了。博士(文学)。九州大学助手、玉川大学文学部教授を経て、2019年より現職。西洋の近現代哲学を専門とするが興味関心は幅広く、哲学とテクノロジーの領域横断的な研究をしている。著書『いま世界の哲学者が考えていること』(ダイヤモンド社)は、21世紀に至る現代の哲学者の思考をまとめあげベストセラーとなった。ほかの著書に『フランス現代思想史』(中公新書)、『12歳からの現代思想』(ちくま新書)、『モノ・サピエンス』(光文社新書)、『ヘーゲルと現代思想の臨界』(ナカニシヤ出版)など多数。

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