「自分なりに」をよく言う人に多い「正当化」の罠とは?「マイペース」を多用する人も要注意!
僧侶の「全部持っている」という返事には、「必要なときに必要なものを得られる」という心のあり方、そして「自分と他人」「自分のものと他人のもの」といった、意識がもたらす線引きにとらわれない考え方があらわれています。「自分が正しい道を歩んでいれば、周囲が支え、必要なものは自然と手に入る(=自分で所有する必要はない)」という信念を持っているからこそ、できる回答ではないでしょうか。
所有意識から解放されるための2つの考え方
さて、この逸話をもう少しかみ砕いてみましょう。
所有意識から解放されるためには、
②助詞を変える
ことが大切だといえます。
「すべてを持っている」と答えたとき、僧侶が描いていた主語は「私」ではありませんでした。「私」という個人的な視点を、「私たち」「お客様」「社会」といった、より広い主語に変えることで、所有への執着と距離をとることができます。
なるべく「私」「僕」「自分」などの一人称で捉えるのをやめてみてください。今まで「私のお金」と言っていたなら、むしろ「お金の私」あるいは極端に「宇宙のお金」と言い換えてみるだけで、「自分と対象」との間に引かれた無意識の境界線が薄まるのではないでしょうか。
ちなみに私自身は、自分のことを「大野栄一」とそのまま言い換えるのではなく、「E君」と名付けて、より第三者的に考えるようにしています。この方法を使うと、「自分」とさらに距離をとることができ、より所有への執着に気づきやすくなります。
「私の」という所有を示す助詞を、「私と」という並列の関係を示す助詞に置き換えることで、対象への執着を和らげることができます。
「私とお金」/お金は単なる関係の中に存在するものとなり、執着が薄れる。お金は「天下の回りもの」といわれるように、循環し、流通することで価値を生むもの。特定の人や場所にとどまるものではない。
「私と部署」/部署を対等な関係として捉える視点。
「私の部署」と考えると、自分の責任や負担が強調されがちですが、「私と部署」と考えれば、部署との関係の中で、フラットに課題を捉えられるようになります。この視点の切り替えは心の余裕を生み、冷静な判断を可能にします。
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