「玉砕を許されなかった兵士」知られざる沖縄戦 『戦場の人事係』を書いた七尾和晃氏に聞く

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──石井氏はどんな人物でしたか。

石井氏は行政経験が豊富で人望があったため、戦後は自治体の首長まで務めた方でしたが、口数が少なく、隙のない方だなという印象でした。耳も遠く、補聴器を使っていたので、私は質問事項を書いて渡すなどいろいろ考えつつ、石井氏と面会しました。

ななお・かずあき/1974年生まれ。石川県金沢市出身。記録作家。「無名の人間たちこそが歴史を創る」をテーマに、「訊くのではなく聞こえる瞬間を待つ」姿勢で、市井に生きる人々と現場に密着し、時代とともに消えゆく記録を踏査した作品を発表。『堤義明 闇の帝国』(光文社)、『銀座の怪人』(講談社)、『闇市の帝王:王長徳と封印された「戦後」』、『炭鉱太郎がきた道:地下に眠る近代日本の記録』(以上、草思社)、『琉球検事:封印された証言』(東洋経済新報社)、『沖縄戦と民間人収容所』(原書房)、『語られざる昭和史』(平凡社)など多数(撮影:今井康一)

石井氏にあれこれ尋ねるというよりも、私がこれまでに沖縄戦について調べたこととか感じたことを報告する感じで、集めてきた写真を見せたり資料を読み上げたりしました。石井氏はもっぱらそれを聞いて、「うんうん」と、うなずくことが多かった。

私は石井氏の手記も読んでいましたのであまりその内容には触れず、沖縄戦に関しての自分の見方を伝えたりしていました。そして数時間もしてそろそろ帰ろうとしたとき、「ちょっと待て」と言われました。

「私は実は生かされたんだ」「中隊長から生き残れ、生きて伝えよと言われたんだ」と。続けて「このことは誰にも話したことはない」ともおっしゃいました。靖國偕行文庫に寄贈されていた手記にも書かれていませんでした。

そして、中隊の兵士の“人事名簿”を持ってきて、「実は私はこれをガマに隠していた」というのです。そして兵士たちの最期をつづったメモとともに見せてもらいました。

沖縄戦を生き延びた石井氏は戦後、“人事名簿”を基に兵士の遺族を訪ね、戦場での最期の様子を伝えました。それが「生きて伝えよ」と命じられた“人事係”としての役目であることを自認していたからです。もちろん、遺族の接し方もさまざまで、厳しい対応をされることも少なくなかったといいます。

「生きて伝えよ」と命じた中隊長の思い

──石井氏は七尾さんにどんなことを語っていましたか。

“人事名簿”やメモを見せてくれたとき、石井氏は「これはガマから持ち帰ってきた本物だ」「私は多くの兵士の死を看取っているので、これ以上、正確な記録はない」と断言していました。彼は沖縄戦のさなかもこれらを肌身離さず持ち続け、アメリカ軍に見つからないようにガマの中に隠しました。それを捕虜になっていたあるときに、アメリカ軍の隙を見て再び引き揚げ、ひそかに内地に持ち帰ったのです。

私は長らく沖縄戦の取材を続けてきましたが、このような事例は見聞きしたこともなく、大変な驚きでした。日本軍の多くの記録は焼却処分され、ほとんど残っていません。スタンフォード大学のフーバー研究所で、捕虜から入手したいくつか未整理の記録を見たことはありますが……。

石井さんから兵士たちの最期を記録したメモの何枚かを託されたとき、私としては何としても活字にしなければならないと責任を感じました。

──『戦場の人事係』によれば、七尾さんは石井氏が属していた中隊で長を務め、最期に石井氏に「生きて伝えよ」と命じた山田兼成氏の故郷も訪ねています。

戦後、石井氏が兵士の遺族を訪問し、亡くなった兵士の位牌に手を合わせてきたことを踏まえ、私も歩き継ぐことで追体験しようとしました。山田中隊長にも遺族がいらっしゃって、私も訪問して遺影を見せてもらいました。そのとき、「ああ、山田中隊長は27歳で命を落としたのだ。こんなに若くしてこの世を去らなければならなかったのだ」と改めて認識しました。沖縄戦が、沖縄の人たちだけでなく、日本の兵士にとっても、いかに重たいものであったかということです。

──これまで七尾さんは多くの著作を世の中に出してきましたが、多くの場合で世に知られていない無名の人物に伴走し、その生き方を追体験するといった作風です。無名の人物の生き方を描くことの意義とはどういうものでしょうか。

歴史というものは一国の宰相や司令官だけによって作られるものではなく、無名にして懸命に生きてきた、市井の人たちの上に築かれているものだと思います。その歴史を自分なりに追体験し、過去を振り返り、未来を模索する人々に伝えたい。その一心で現在までやってきました。そのための手法が「歩き継ぐ」「聞こえる瞬間を待つ」という手法であり、私の取材の流儀です。

岡田 広行 東洋経済 解説部コラムニスト

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おかだ ひろゆき / Hiroyuki Okada

1966年10月生まれ。早稲田大学政治経済学部政治学科卒。1990年、東洋経済新報社入社。産業部、『会社四季報』編集部、『週刊東洋経済』編集部、企業情報部などを経て、現在、解説部コラムニスト。電力・ガス業界を担当し、エネルギー・環境問題について執筆するほか、2011年3月の東日本大震災発生以来、被災地の取材も続けている。著書に『被災弱者』(岩波新書)

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