「一揆」と「SNS」歴史作家が語る驚きの"共通原理" 意図的に自分の名前を広めようとした首謀者も
自分のまったく知らない人にまでいろいろな話が伝播し、責任の所在もはっきりしないままその反応や意図が変質して、下手をすれば発信者にとっては収拾のつかない場合もあると実感しています。
有名になり過ぎてしまった「蓮田兵衛」という名前
呉座 しかし、『室町無頼』で垣根さんが描いていらしたように、蓮田兵衛はむしろ情報の拡散力を利用しようとしていた。
垣根 実際に証明する史料は存在しませんでしたが、いろんな状況を想像するにつけ、そのように推察せざるをえませんでした。
呉座 蓮田は、意図的に自分の名前を広めようとしていたのではないかと、垣根さんはどこかでお書きになられていましたが、私はその可能性に気付きませんでした。
垣根 一揆はSNSだという論理でいくと、そうなりますね。
呉座 小説の中でも書かれていて、すごくしっくりきました。土一揆の大将の名前がわかるという事例は少ないのに、なぜ蓮田兵衛はこれほど有名なのかというと、むしろ自分から宣伝していたのではないかと。盲点を突かれたような気がしました。
垣根 私にも謎でしたが、自ら首謀者だと触れ回っていたと考えると、いろんな部分で辻褄が合い、腑に落ちるのです。
呉座 蓮田兵衛が活躍した寛正の土一揆では、幕府は土一揆を鎮圧した後も、敗れて逃げた人たちを執拗に捜索しています。蓮田兵衛も捜索されて捕まり、殺されています。
残党にまで追っ手がかかるというのは、土一揆の例としては結構珍しくて、だいたい京都からいなくなればいいという感じの対応が普通です。
では、なぜそこまで執拗に追いかけたかというと、蓮田兵衛の名前が有名になり過ぎてしまったので、きちんとけじめをつけないといけなかったのだと思います。
蓮田兵衛は、自分に最終的に追っ手がかかるということまでわかっていて、あえて自分の名を広めるという描き方にうなりました。
垣根 一揆の主体というのは、いわゆる農民ですね。しかし農民とはつまり、その土地の実質的な地主なのです。
その上にいる人たち、つまり守護などの支配層は、税の徴収権を持っているだけです。それが通常の土一揆で農民を追捕(ついぶ)したり処罰するというのは、なかなか難しいだろうという考えが一方ではあります。