「図解と文章」の伝達力の違いを"図解"してみる 1度で理解できないような文章は「悪文」である

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教科書や試験に出てくる小説や評論などの文章は難解であり、それを読みこなせない自分の力量を反省させられます。しかし、1度読んで理解できないような文章は、悪文ではないでしょうか。

日本では「文は人なり」という言葉に代表されるように、知識人の条件は文章が書けることであって、いまでも変わりはありません。

文章にケチをつけられると、書いた本人は人格を否定されたように感じてしまいます。上司であれば、そして地位が高ければ、文章を修正する権利がある。偉くなるということは給料が上がるだけではなく、部下の文章を自由に直す権利を得ることだともいえます。

文章をめぐる上下のトラブルは日本のあらゆる組織に存在しています。ここで日常的に起こるコミュニケーション・ロスは、日本の組織の力を3割程度弱めているのではないかと私は見ています。

さて私の二十数年のビジネスマン人生を振り返ってみると、「できる上司」は文章に造詣が深いタイプもいましたが、キーワードの設定力が高かったり、図で指示を出すというタイプが多かったように思います。

私の場合、幸いなことにこうしたレベルの高い上司に何人かめぐり会って、「図でものを考える」という習慣がつき始めました。そして実際に自分が上司の立場になり部下とのコミュニケーションに心を砕くようになると、この方法は伝える側と伝えられる側の双方にとって有効であることを確認し、しだいに自分のスタイルとなって定着してきました。

若い世代の文字離れ等もあり、文章一辺倒の組織風土の見直しを含め、コミュニケーションスタイルを考え直す時期に来ていると思います。

単なる「見える化」だけではピンとこない

文章コミュニケーションでは、文字面(づら)を真剣に追わないと中身を理解できないところがあります。目に入ってくる文字や言葉や文章を脳のなかで意識的に処理して初めて理解が可能だからです。

一方、図解はひと目で全体像を把握でき、そしてもう1度論理回路を働かせ図解を読み下す作業を行うことになり、いわば二重に記憶に刻み込まれていくため、理解が速く、そして深いのです。

文章は、こちらが考えた道筋にしたがって相手を「説得」しようとするところがあります。自分の考えを押しつけようとしているようにとられがちであり、相手から反発されることがあります。

一方、図解によるコミュニケーションは、自分が関心のある部分や問題意識から見始めることが可能であり、参加意識が高く、自然に「納得」する利点があります。

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