東急が「ベトナムの工業地帯」に造る近代都市の姿 日本での「都市開発」経験がベトナムで生きる訳
こうした多様な要素を盛り込んだ「生きたまちづくり」こそが、東急が長年にわたって培ってきた強みなのでしょう。そして「今後も不動産開発だけでなく、まちのモノやコトを充実させていくことで、地域の価値を高めていく。それが私たちのミッションだと考えている」と平田さんは話しています。
日本での経験を生かしたまちづくりを進める
東急が手掛けるまちづくりといえば、東京の渋谷や田園調布をはじめとした東急線沿線、最近では東急歌舞伎町タワーで話題になった新宿などが有名ですが、その根幹には常に「まちを面的につくる」姿勢があります。
「まちづくりはビルをつくって終わりではなく、その機能がまちににじみ出していくところまで想定しなければならない。それをこれだけ中長期にわたり、1000haもの敷地で実践させていただけているのは本当にありがたいことだし、日本ではなかなか経験できないことだと思っている」と平田さんは話します。
もっとも、東急が進出した当初のビンズン新都市は、何もない田舎町に過ぎませんでした。それだけに「工業団地しかない田舎に出て行ってどうするのか」「東急はベトナムの不動産ビジネスを何もわかっていない」と揶揄されることもあったそうです。
しかし、「それでも歯をくいしばってやってきたからこそ、今のビンズン新都市がある。そのことに誇りを持ちながら、これからも多くの日系企業と協力し、東急にしかできないジャパン・クオリティのまちづくりに取り組んでいきたい」と平田さん。
その上で「これまでの10年間は『住めるまち』にすることだったが、今後は来街者の誘致も視野に入れ、『来て楽しいまち』という側面も打ち出していきたい」とも。
かつて、日本では郊外型のニュータウン開発において、入居者を一斉に募り、同一世代の比率を極端に高めてしまったことがありました。それゆえに今では多くのニュータウンが急激な高齢化にあえぎ、ゴーストタウン化してしまっています。
こういった経験に学び、昨今の日本の不動産事業会社は段階的な分譲で世代のバランスを取るようにしています。東急もまたTOKYU Garden Cityにおいて段階的な分譲をしたり、分譲と賃貸を組み合わせたりすることによって、地域住民がうまく新陳代謝するようにしています。
こうした知恵もまた日本が先進国であるがゆえに提供できるノウハウであり、今後、郊外に広がっていく都市化、住宅化の動きを考える上でも重要なポイントになりそうです。
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