「パレスチナ問題」こんなにも複雑になったなぜ 人気世界史講師が今さら聞けない常識を解説

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エジプトがイスラエルと和解したことで、パレスチナ人の置かれる状況は苦しくなっていきました。そこで1987年にインティファーダと呼ばれる暴動がガザやヨルダン川西岸地区で起きます。そして、大きな時代の変化が起きます。それが冷戦の終結でした。

元来、パレスチナ問題と冷戦=米ソの対立に関連は強くありませんでした。しかし、解決困難な問題を解決できる可能性がある、という雰囲気をつくったのです。こうして1993年にパレスチナ暫定自治協定が結ばれます。パレスチナ人側も、イスラエル国家の存在を認めないという主張が空想であることを認めたわけです。

パレスチナ暫定自治協定後のパレスチナ
(画像:大和書房提供)

イスラエルはガザとヨルダン川西岸地区から1999年までに撤兵し、両地区にパレスチナ国家を樹立するというものです。1994年にはパレスチナ自治政府もつくられます。遠回りをしたあげく、1947年の国連パレスチナ分割案よりも少ない領土ですが、ようやく問題が解決したかに見えました。

出ていくはずのイスラエル軍が居座っている

ところが数年のうちに事態が悪化していきます。パレスチナ暫定自治協定を結んだイスラエル首相のラビンが1995年に暗殺されました。このあたりから、イスラエルは口では二国家共存といいながらパレスチナ人居住区(ヨルダン川西岸地区)へのユダヤ人の入植を進めていきます。一方、パレスチナ人側もイスラエルの存在を認めない急進派のハマスが力を伸ばしてきて、話し合いでの解決が困難になっていくのです。

2000年になると、イスラエルでのちに首相となるシャロンがイェルサレムにあるイスラームの聖地に足を踏み入れたことをきっかけに第2次インティファーダが始まります。パレスチナ自治政府内では穏健派のファタハと急進派のハマスの対立が激しくなり、2007年にはハマスが統治するガザと、ファタハが統治するヨルダン川西岸地区に分裂していきます。

パレスチナ暫定自治協定では1999年までにイスラエル軍はパレスチナ人居住区から撤兵する予定でした。ところが撤兵したのはガザのみでヨルダン川西岸地区では行われていません。現在でもヨルダン川西岸地区の6割がイスラエルの支配下に置かれています。

ヨルダン川西岸に入植し続けるイスラエル
(画像:大和書房提供)

地図を見ればわかるようにヨルダン川西岸地区でパレスチナ人居住区は周りをイスラエルに囲まれ隔離された状態になっています。アパルトヘイトと呼ばれる黒人隔離政策をとっていた南アフリカとまったく同じです。つまり、イスラエルのパレスチナ人へのジェノサイドといっても過言ではないでしょう。

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2023年に起こったイスラエルとガザの紛争において、もちろん双方ともに言い分はあるのでしょうが、最低でもパレスチナ暫定自治協定の時点に戻って考えれば、イスラエルに非があるように思えるのです。皆さんはどうお考えですか。

荒巻 豊志 東進ハイスクール講師

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あらまき とよし / Toyoshi Aramaki

1964年福岡県生まれ。1988年東京学芸大学卒業、1990年松下政経塾卒塾。現在は東進ハイスクールで「東大世界史」を担当し、「受験世界史に荒巻あり」といわれる超実力人気講師。歴史の因果関係を明らかにしながら進んでいくハイテンションかつメリハリのある授業は、ダイナミックに歴史のストーリーを理解させてくれる。著者に『荒巻の世界史の見取り図』、監修書に『眠れなくなるほど面白い 図解 地政学の話』などがある。

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