「パレスチナ問題」こんなにも複雑になったなぜ 人気世界史講師が今さら聞けない常識を解説
国際連合で議論された結果、1947年にパレスチナにユダヤ人国家とパレスチナ国家の2つを樹立することが決まりました。いわゆるパレスチナ分割案です。ただ、土地面積でいうとユダヤ人国家に56%、パレスチナ人国家に43%と、人口では少ないユダヤ人のほうに多くの面積が割り当てられるという案でした。そのためパレスチナ人にとっては到底呑めるものではなかったのです。
パレスチナ分割案を受けてユダヤ人は1948年にイスラエルの建国を宣言します。するとエジプト、シリア、ヨルダンといった周辺アラブ諸国がイスラエルに宣戦布告する第1次中東戦争が始まります。
パレスチナ人が「大災厄」と呼ぶ悲劇
この戦争にイスラエルが勝利し、イスラエル国家の存続が決定しただけでなく、どさくさに紛れて領土を拡大させます。パレスチナ人は国際連合のパレスチナ分割案を受け入れず、つまり、パレスチナ人国家は建設せずガザ地区とヨルダン川西岸地区に分かれるかたちで多くの人が難民となります。この悲劇をパレスチナ人は「ナクバ(大災厄)」と呼んでいます。
「たられば」になってしまいますが、なぜこのときイスラエルに武力による国境線の変更は認められないと国際社会はいえなかったのか? イスラエルの領土はあくまで国連分割案の国境線どおりだということになっていれば、その後の歴史は違ったものになっていたと思います。
パレスチナをめぐって再び争いが起きるのが1967年の第3次中東戦争です。このときはイスラエルがエジプト、シリア、ヨルダンに宣戦布告し圧勝しました。これによってイスラエルの領土は倍増し、パレスチナ人が多く住むガザとヨルダン川西岸地区はイスラエルに組み込まれることになります。
これも同じです。武力による国境変更なのだから、イスラエルの領土の拡大は認められないといわなければならないのです。欧米諸国がイスラエルを調子に乗せてしまったといわざるをえません。
第3次中東戦争に敗れたエジプトとシリアの逆襲戦が1973年の第4次中東戦争です。この戦争もイスラエル優位で終了し、エジプトは長年争いが続いたイスラエルと和解することを決め、1979年にエジプト=イスラエル平和条約を結んで第3次中東戦争で奪われていたシナイ半島を返還してもらいます。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら