「5割できればOK」92歳シスターの"納得の境地" 「あきらめる」ことで人生が好転することもある

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私はその会で、物理学者・寺田寅彦の「どうでもええ」という言葉を紹介しました。「これは決して投げやりな言葉ではありません。どうあってもいい。こうあってもいいという意味の言葉です。与えられた現状を受け入れることこそ、問題解決につながるのです」

会のあと、母親は私のもとに現れ、こう話してくれました。

「私は今まで息子に『みなと同じように学校に行かなきゃダメ、働かなければダメ』と言い聞かせてきました。しかし、学校に行かなくても、健康でいてくれるなら、それだけでいいではないか。そう思うようになってから、うまくいくようになりました。今では『どうでもええ』という言葉に心から共感することができます」

翌日、なんとその息子が私の講和の会に1人で来てくれました。

「僕は中学も高校も行っていないので、フリースクールのようなところに通い、そこを出たら職業訓練を受けようと思っています」と話してくれました。母親のプラスの波動は、確実に息子に伝わっていたのです。「聖なるあきらめ」が、事態を大きく好転させてくれたのでしょう。

高望みをしたり、先のことを思いわずらって不安になったりするのではなく、今の恵みに感謝しながら生きていくと腹を決めること。それが「聖なるあきらめ」なのです。

不安は無意味。やることをやって、天に任せるだけ

人間は生きている限り、繰り返し「不安」を抱えてしまう生き物です。ここでは、不安の乗り越え方についてお話しします。

昔から、多くの偉人が「不安」というものについて考えてきました。デンマークの思想家・キルケゴールは『不安の概念』という本を書きました。「精神分析」で知られるオーストリアの精神科医・フロイトも、不安について多くの考察を残しています。それほど不安は人間と切り離せないものなのです。

たとえば、大事な取引先をひょんなことから怒らせてしまい「契約が解消されはしまいか」と心配で、一睡もできなかった……などという経験はありませんか。

それはとても苦しい状態でしょう。しかしあなたが解決策を尽くしたのであれば、そのあとはいくら不安になっても「仕方がない」ことなのです。

次ページ「人事を尽くして天命を待つ」しかない
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