企業から「沖縄の生物多様性」に集まる熱視線 通信会社とベンチャーが異色タッグを組む狙い
沖縄特有の地理的条件が生んだ豊かな生物多様性
――沖縄の生物多様性の豊かさは世界有数といわれています。
久保田 私は生物多様性科学者ですが、研究者の間でも沖縄の生物多様性の豊かさは有名で、生物多様性のフィールドとして国際的に注目されています。沖縄が生物多様性のホットスポットになった理由は2つあります。まず熱帯と温帯の狭間にあること。それぞれの気候に生息する生物が交じり合っているため種類が豊富です。もう1つ、島であることも大きい。島は孤立した環境なので独自の進化が起こりやすいのです。この2つの要素が重なり、沖縄は生物の種類が多様で、かつ固有種も多く棲むかけがえのない場所になりました。
菅 私が沖縄セルラーの社長に就任したのは2021年。以前からイリオモテヤマネコやヤンバルクイナといった固有種の存在は知っていましたが、いざ沖縄県内の各地を訪れると、ほかにもさまざまな希少種がいて驚きました。例えばジュゴンが棲んでいて、しかも絶滅の危機にあることも、沖縄に来て初めて理解しました。
久保田 ジュゴンは熱帯から亜熱帯海域に棲む海棲哺乳類で、沖縄が生息地の北限です。私たちの分析によると、ジュゴンがいる海は生物多様性も豊か。つまりジュゴンは、沖縄の海の豊かさを象徴する生き物。19世紀には多く生息していたのですが、現在は数が減ってしまいました。
沖縄では戦中戦後に自然環境が荒廃し、1972年の返還後も、経済成長に向けた開発が進められ、90年代中頃まで生物多様性の豊かさが減っていきました。
しかし実は、この20年ほどは回復傾向にあるんです。90年代以降、赤土の流出防止といった破壊的土地利用の制御や森林伐採の抑制、外来種駆除の施策が取られ、その効果が一定程度上がったからです。
菅 県や環境省で本格化しているマングースの駆除事業には、当社も関わっています。具体的には、2021年から「おきなわ自然保護プロジェクト」をスタートさせました。マングース駆除のために撮影した画像データを、AI自動画像判別で処理するシステムを構築して、自然保全活動の効率化・省力化を進めています。
久保田 すべてのビジネスは生物多様性の上に成り立っており、ネイチャーポジティブは持続可能な経済活動にも直結します。企業にとっても重要な意味を持ちますが、どうして沖縄セルラーは自然保全活動に積極的なのでしょうか。
菅 創業にさかのぼるとわかりやすいでしょう。1990年、本土と沖縄の経済界が一体となって沖縄を元気づけようと、沖縄懇話会が開催されました。そこで出た「沖縄県民のための通信会社をつくり、健全な利益を上げて地域に還元しよう」という考えに基づき、沖縄の有力企業43社が出資して誕生したのが沖縄セルラーです。この経緯から、私たちは沖縄経済の発展に貢献することをいちばんの目的として事業を行っています。
一方、現在の沖縄はさまざまな課題を抱えており、その1つが自然環境の保全です。自然資本がすべての社会経済活動の根本にあることは、久保田さんのご指摘どおりですが、とくに観光産業が盛んな沖縄においては自然の豊かさが非常に強い意味を持ちます。そこで当社も、沖縄が世界自然遺産に登録されたのを機に、「おきなわ自然保護プロジェクト」を始めたわけです。
生物多様性を可視化して事業戦略に生かす
――2023年9月、自然関連財務情報開示タスクフォース(以下、TNFD)のフレームワークが公開されました。ネイチャーポジティブは、沖縄だけでなく世界的な潮流です。
菅 SDGsの流れを受けて、機関投資家が非財務情報の開示を求める動きが年々強まっています。カーボンニュートラルについてはすでに、気候関連財務情報開示タスクフォース(TCFD)に基づいてデータを開示することが当然のことになりつつありますが、今後は生物多様性についても対応が必要です。
久保田 私たちが豊かな暮らしをするには経済成長が必要で、それは豊かな自然に多かれ少なかれネガティブな影響を与えることで成り立っています。
この事実から目を背けず、できる限り自然と共生しようという認識がビジネスの世界で広がってきたことは、大きな進歩です。
菅 通信会社としては、例えば電波を届けるために基地局を建てる必要がありますが、これも自然環境への影響は避けられません。いかにネイチャーポジティブな活動を行い、オフセットしていくか。私たちとしても大きな課題です。
そのときに欠かせないのが、インパクトの可視化です。事業活動が自然に与える影響を定量的に分析しないと、どの施策が効果的なのかわかりません。久保田さんのシンク・ネイチャーは、そこを可視化するサービスを提供されていますね。
久保田 はい。無数の学術論文や生物標本など、地球の陸と海の全生物の観測データを統合した生物多様性ビッグデータに基づく「TN LEAD」です。野生生物の分布データと気温や降水量などの環境データをAIに学習させ、生物多様性や生態系サービスの特徴を可視化するシステムによって、あらゆる企業の事業活動と自然の接点、自然に対する依存、自然に与える影響を多面的に評価できるというものです。
TNFDが推奨する「LEAPプロセス」に準拠して開発しているので、対応の準備を進めたい企業にも使っていただきやすいサービスです。
通信業界の大企業とベンチャーの異色タッグが生まれた理由
――沖縄セルラーとシンク・ネイチャーは23年6月、「2030年ネイチャーポジティブ」の実現を目指して連携協定を締結しました。狙いを教えてください。
菅 当社がこれまで自然保護活動を支援してきて実感したのは、自然の保全には県民や観光客の意識向上が欠かせないということです。この課題をどう乗り越えようか考えていたときにシンク・ネイチャーの存在を知り、声をかけたという経緯です。
久保田 多くの方に関心を持ってもらうことを「主流化」といいますが、日本は国際的に見て、生物多様性の主流化が遅れています。前述のとおり沖縄の自然環境は非常に価値あるものですが、あまり意識されていない傾向にあります。
提携のお話をいただいたのは、生物多様性の可視化アプリ『ジュゴンズアイ』の開発中。アプリを広めて多くの人に関心を持ってもらいたいと考えていたので、提携は渡りに船でした。
菅 シンク・ネイチャーが提供しているサービスやアプリの説明を聞いて、社会に広めるべきだと思いました。「スピードが勝負。事業化を加速させましょう」とお話ししたことを覚えています。
――具体的な協業の中身を教えてください。
菅 23年9月に沖縄の新聞2紙に、ネイチャーポジティブをテーマに意見広告を出しました。大胆なビジュアルで話題になりましたが、隅に『ジュゴンズアイ』のQRコードを載せ、アプリの認知度向上をサポートしました。
久保田 意見広告を機にダウンロード数が増えてありがたかったです。教育啓発活動という意味では、23年8月に子ども向け自由研究のイベントにブースを出したことも大きかったですね。『ジュゴンズアイ』を使って自分が通う小学校の周辺の生き物を調べる教材を提供したところ、たいへん好評でした。
今の目標の1つは、「沖縄ネイチャークレジット」の枠組みをつくること。脱炭素を推進するためカーボンクレジットが市場で取り引きされつつあります。今後、ネイチャーポジティブを推進するため、生物多様性についても、その消失を抑止・オフセットし、生物多様性の純増を促すための市場メカニズムが不可欠になります。
生物多様性ホットスポットである沖縄は、自然関連のクレジットを生み出しやすい地域でもあり、生物多様性市場を創出するには理想的だと考えています。
菅 沖縄の企業は総じて、自然保護の意識が高いように感じます。これをさらに大きなムーブメントにして日本中に広げていけるよう、当社も率先してネイチャーポジティブに取り組んでいきます。
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