職場をクビ→43歳でシェフになった女性のその後 未経験ながら香港でレストランを開いたら…

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これは深刻な問題だったので医師に相談したところ、ADHD(注意欠陥・多動性障害)と診断されました(この障害がある人は作業の継続や集中の維持や整理整頓が難しい場合がありますが、それらの問題は反抗心や理解力欠如のせいではないのです)。

私は自分の世界が崩れ落ちていくように感じました。こんな障害を持ったままどうやって生計を立てていけばいいのだろうか。どうやって家族の期待に応えればいいのか……家族は私が安定した生活を送れるようにと貯金の大半をはたいてくれたのに。

私は精一杯努力しました……。

それでも、私は3つの職場をクビになりました。

すっかり自尊心を失ってしまいました。

43歳で小さなレストランを開くことに

失うものが何もなくなった私は、貯金を使って小さなレストランを開くことにしました。43歳のときです。

田舎の生活には利点がありました。特に不動産価格に関してはそうでした。田舎家の1階にある居心地のいい物件を見つけました。居住面積が20平方メートル、庭が20平方メートルあり、香港で私が住んでいた家からわずか徒歩2分のところです。私はこの物件を購入し、居住部分を厨房に、庭を客席スペースに改装しました。

「ボス」になるのはこれが初めてでした。当時の私はどういうわけか自分のことを商売の天才だと思っていました。ボスという立場の難しさを過小評価し、自分自身の能力を過大評価していたのです。2011年1月25日にオープンした当初、店名は「51ファーム」でした。利益の51%を中国の農村地域に寄付したいと思っていたからです。

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