「VIVANT」残酷な内容なのに惹かれてしまうワケ 考察ドラマとして盛り上がる複数のポイント

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ただの善人だけでも、ただの悪人だけでもおもしろくない。どちらも内包している人物だからおもしろい。それが堺の俳優としての魅力であり、『VIVANT』もそれを十分わかったうえで作られている。だから、主人公がひどい行為を行っても、堺だからギリギリ見ることができるのであろう。

「美しき我が国日本を汚す者は何人たりとも許さないが心情なんでね」なんて台詞を吐いて、テロ組織を徹底的に追い詰めていく乃木。とはいえ、今、時代は変わっている。暴力に関して、以前よりナーバスで、ハラスメントをなくすことが重要視されている今では『半沢直樹』の土下座や怒鳴る行為すら、あれほど激しくできないのではないだろうか。

土下座や激しい怒声、登場人物の豹変など、インパクトを狙った演出は、2013年のシーズン1のときは盛り上がったが、シーズン2のときは復讐の連鎖を助長するのではないかという見方もあった。

今「テレビドラマの王道」に挑む意味

『VIVANT』はリアルな日常ものではなく、荒唐無稽な世界観とはいえ、主人公が残酷な行いをするテレビドラマを制作するのはなぜか。どちらも手掛けている演出家の福澤克雄の個性、あるいはインパクトという演出手法の成功体験によるものでもあるだろう。最たる点は、これがテレビドラマの王道なのだということだ。

風呂敷を大きく広げ、予算を注ぎ込み贅沢な撮影を行い、人気俳優を集め、軽妙な芝居や、ノリのいい音楽を流して、考える隙を与えないようにして進行し、ところどころでインパクトを作る。そして、誰もが理解できるように白黒をはっきりさせる。あるいは白黒が反転する瞬間を明確に見せる。そうやって視聴者を増やしてきた。

昨今のドラマは、そういうやり方から変化していて、白でも黒でもないとぼやかしたり、道徳的ではないことを描かないか、道徳的でないことをする人にも事情があるというような奥歯にもののはさまった描き方をするようになったりしている。

このままテレビ局は淡々とした環境音楽のようなものばかり量産していくのか。それとも、よくも悪くも心を沸き立たせる大衆娯楽に回帰すべきか。のっぴきならない状況のとき、どんなことをしても日本を守る乃木憂助のあり方は、テレビドラマの今後の方向性を占うものであり、我々日本人のゆく道を問うものでもある。

木俣 冬 コラムニスト

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きまた ふゆ / Fuyu Kimata

東京都生まれ。ドラマ、映画、演劇などエンタメ作品に関するルポルタージュ、インタビュー、レビューなどを執筆。ノベライズも手がける。

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