医学部9浪、母の殺害に至った壮絶な教育虐待 家出を試みるも、探偵を雇った母に連れ戻される

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(写真はイメージです:takeuchi masato/PIXTA)
齊藤彩さんの著書『母という呪縛 娘という牢獄』は、2018年に娘が母を殺害し遺体をバラバラにして遺棄した事件の経緯を詳細につづったノンフィクションだ。共同通信社の司法記者だった齊藤さんは、獄中の娘・髙崎あかり(仮名)と30通を越える往復書簡を交わし本書を執筆した。進学校出身で看護師として就職が決まっていた真面目な娘は、なぜ母を殺さなければならなかったのか。事件の背景にある長年にわたる教育虐待や母娘の関係性について齊藤さんに聞いた。

包丁、熱湯、幼少期からの教育虐待

2018年3月、滋賀県守山市を流れる野洲川の河川敷で髙崎妙子(仮名・当時58歳)の遺体の一部が発見された。遺体は両手、両足、頭部が切断されており体幹部のみだった。後に髙崎あかり(当時31歳)は、他の部分は燃えるゴミに出したことを供述している。あかりは、地元の医大の医学部看護科を卒業し同年4月から看護師として働き始めていた。母娘の生活ぶりについて本書はこう記している(※文中の太字部分は本書からの抜粋)。

あかりは妙子のひとり娘で、父親とは二〇年ほど前、あかりが小学生のころに別居し、以来母娘の二人暮らしが続いていた。

あかりは小学校時代から成績優秀で、母親の妙子は娘のあかりを医師にしたいと考え、それも国公立の大学医学部に入学させたいという強い希望を持っていた。あかりも期待に応えようと勉強を続け、医学部受験を目指していた。

あかりは二〇〇五年に県内のキリスト教系進学校を卒業し、母の希望通り医学部を目指して受験を繰り返したが果たせず、二〇一四年に医科大学の看護学科に進学した。その間、なんと九年もの浪人生活を送っていたことも明らかになった。

母が娘に医学部受験を強要し、9年間も浪人させた。その事実は異常な学歴信仰や、いびつな親子関係を想像させる。近年、親が子どもに過度な期待をかけて勉強させ、成績が上がらないと暴言や暴力を加える「教育虐待」という言葉が知られるようになったが、あかりの母の厳しさは熾烈だった。

成績が期待を下回ると激昂し、小学校6年生の時には包丁を持ち出して揉み合いになり、あかりの上腕を切ったことがある。中学2年生の時には、あかりが定期テストの結果が書かれた用紙の点数を改ざんしたことを知って熱湯を浴びせた。

母はコップに熱湯を入れ、正座する私の太腿めがけてぶちまけた。

「ぎゃーっ!!」驚きと激痛で叫ぶ。熱湯をかけられた皮膚がでろん、と溶ける。

「……今後は挽回しなさいよ。……病院に連れて行ってあげるから、勉強中にうっかり飲み物をこぼしたって言いなさい」

痛みと恐怖でしゃくりあげる私に、冷ややかな母の声が突き刺さる。

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