1日2時間練習で「全国優勝」ホワイト部活の実態 東福岡高校が花園で優勝、藤田監督の指導方法
藤田さんが東福岡高校に入学した頃、ラグビー部は全国大会に数回出て、1回戦で勝つか負けるかという程度だった。谷崎重幸監督の厳しくも温かい指導によって頭角を現した藤田さんは、2年生からレギュラーになり、全国大会にも出場。卒業後は福岡大学、JR九州でプレイを続け、1998年25歳のとき、保健体育の教諭として母校へ。尊敬する谷崎監督のもとで14年間コーチを務めた。
まずは任されたことを必死にやり、サポートに徹する日々。5年過ぎた頃から将来を見据えて、ノートをつけ出したという。これまで書き溜めた「落書きノート」には、本やテレビ、人との会話などで印象に残ったフレーズが丁寧な字でびっしり書かれている。
監督のバトンを受けたのは2012年度のこと。花園3連覇を果たす決勝の朝、監督に呼ばれて「なんかやらかしたかな」と行ってみると、「来期から監督を代わってほしい」と。予期せぬタイミングと重責に即答できなかったが、数日後に覚悟を決めた。
練習時間を増やしても結果が出ない
しかし、そこから苦難が始まった。監督になってすぐの新人戦は、県大会の決勝で敗退。「谷崎先生が80連勝以上していたのに負けさせてしまって……。早く日本一にならないと監督のスタートラインに立てないと焦りました」。
そこで練習時間を増やし、放課後3~4時間、週末は午前午後とハードな練習を続ける日々。それでも2年は結果が出ることなく負のスパイラルに。「矢印を選手に向けて、ずっとイライラしていました」と振り返る。
そんなある日、思わぬ転機が訪れる。校内で階段を下りていると、少し前にいたラグビー部の主力2人の会話が聞こえてきた。「練習、行きたくないね……」。藤田さんはUターンして、静かにその場を離れ、「自分は何してるんだ。良かれと思って練習を増やしていたけれど、彼らのストレスにしかなってない。自分が変わらなければ」と決意した。
ヒントを求めて本を読みあさり、ラグビーやほかのスポーツ指導者に話を聞いた。そして自らの経験を振り返ったとき、JR九州時代のラグビー留学が鮮やかによみがえったという。
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