リクルート新サービス「成功の要因は組織」の根拠 「Airキャッシュ」担当者に聞く開発の舞台裏
貸金業をやりたいわけではない
「中小規模の事業には、数十万単位の少額資金が必要になることが頻繁にあります。ただ、融資を受けるとなると書類提出などの手間がかかり、返済時の振り込みも面倒です。また、日本では『借金=悪いこと』というイメージが根強く、資金を借りることへの心理的なハードルが高い。結果、資金調達を諦めてしまう事業者が後を絶たないんです。この問題を解決したいと考えたのが、最初のきっかけでした」
こう『Airキャッシュ』の開発経緯を明かすのは、プロダクト担当者の冨田一清氏だ。冨田氏が中小事業者の少額資金調達ニーズを解決すべく、役員の牛田圭一氏と議論を始めたのは2020年4月のこと。ミーティングを重ねる中でたどり着いたのが、貸金業ではなく、ファクタリング(事業者が売掛債権を売却して現金化する)のスキームで、将来の売り上げを早期に現金化するサービスだった。
ただ、いきなり事業化に進んだわけではない。まずクリアしなければいけなかったのは法律の壁だ。法務部は「貸金業という形で取り組むのはどうでしょうか」と提案したが、冨田氏にはそのつもりは毛頭なかった。スマホから融資の申し込みをすると、操作に慣れている人でも10分以上かかる。事業者の手間や負担を最小限にするには、文字や数字を入力することなく数タップで申し込める手軽さが重要であり、貸金業の枠組みではその条件を満たせないからだ。
「法務部の提案は至極まっとう。ただ、顧客に提供したい価値を明確化し、『貸金業』という業態をとることが目的なのではなく、顧客に対して、早く、カンタンで、安心して資金調達できる機会を提供することが目的であると説明したら、『どうすれば法的な問題もクリアして実現できるか、一緒に考えましょう』と前向きになってくれました。目的や提供価値を明確に共有できれば、部門にかかわらずみんながポジティブに考えてくれるのが、リクルートのいいところだと思います」
新規事業にも自ら挙手して参加できる風土
ほかの部門からの協力も大きかった。企画段階では冨田氏1人だったが、事業化には少なくとも数人~10人ほどの人員が必要になる。冨田氏が関係各部の部門長に相談すると、適切なメンバーを次々に紹介してくれた。例えばリスクマネジメント部門からは、リスクマネジメント室長の羽村友城氏が自ら「先日『Airキャッシュ』の話を聞いて、参画したいと思っていました」とアプローチしてきた。また財務部門からは、新規事業に興味のある若手が率先して参加している。
逆に冨田氏が招聘したメンバーもいる。『Airキャッシュ』は『Airレジ』や『Airペイ』の直近のデータを基に、将来の売り上げを予測して利用可能額を決める。予測精度を高めるには、優秀なデータサイエンティストに参画してもらう必要がある。冨田氏はかつて一緒に仕事をしたことのあるメンバーをチームに引き入れた。
優秀な人材は、上長が手放したがらないものである。しかしリクルートには、本人の意思や好奇心に従って多様なキャリアを自由に選択することを尊重するカルチャーがある。制度としても、本人と異動希望先の組織間でニーズが合えば異動が成立し、現組織の上長でさえ異動についての拒否権を持たない「キャリアウェブ」制度があり、社内の全組織の業務は社内インフラでいつでも検索・閲覧できるようになっている。
冨田氏が引き入れたメンバーはこの制度を使ったわけではないが、こうした文化が全社的に定着しているからこそ、スムーズにメンバーを集めることができた。
メンバー集めがうまくいった理由がもう1つある。『Airキャッシュ』チームは当初、プロジェクトとしてスタートした。ほとんどのメンバーが既存業務との兼務だったため、元部署の業務を止めることなく、『Airキャッシュ』の業務に関わることができた。
逆に、このプロジェクトの主務メンバーが、他部署に兼務で入ったパターンもある。メンバーの田中彩香氏は「『Airキャッシュ』を事業化するには、『Airペイ』の仕組みを理解することが不可欠です。そこで私自身の希望で『Airペイ』チームに兼務でつけてもらい、実際に手を動かしながら仕組みを学んでいきました」と話す。こうした柔軟な組織体制が、プロジェクトの推進力の1つになっていることは間違いない。
コロナ禍でも、チームビルディングに不都合はなし
柔軟さに秀でている組織は、一方でチームビルディングや情報共有の面でハンデを負いかねない。在宅勤務がメインになると、なおさらだ。
「毎朝ミーティングをするのはもちろん、常時オンラインでつないで、いつでも雑談できる環境をつくりました。絶えず誰かが何かを話しているので、次第に『ラジオ』と呼ばれるようになりました」(冨田氏)
前出の羽村氏は「メンバーと対面したのは、プロジェクト開始から1年以上経った頃。それでも、まったく不都合はありませんでした」と証言。メンバーの北川晴也氏も「課題を感じたことはありませんでした。リクルートの文化である、議題を決めない1on1会議『よもやま』で気軽に連携ができ、疑問や懸念が生じればいつでもチャットツールで質問できる環境があったからこそ、プロジェクトが円滑に進んだのだと思います」と語る。
さらに、ルールを明確に定めたことも大きい。役職に関係なく気づいたことを自由に発言する「オープン&フラット」、そして長期的にはうまくいくと楽観する一方、短期的には悲観的に考えてリスクをつぶしていく「先回り、前さばき、前倒し」の2つ。これにより、メンバー間で摩擦が生じたときもすぐ同じ地点に立ち戻ることができたという。
ビッグデータを簡単に活用できる仕組みを整備
『Airキャッシュ』が成功した要因は、組織制度だけではない。リクルートが持つ、豊富なアセットもその1つだ。そもそも『Airキャッシュ』は、『Airペイ』の顧客を対象にしたサービス。すでに顧客基盤があるためマーケティングコストを抑制できたのはもちろん、顧客の売り上げ実績データという膨大な資産も、将来の売り上げを予測するAIアルゴリズムの向上に役立った。
このデータ資産は、調査段階から生かされているのも特徴だ。兼務メンバーである鈴木剣之介氏はこう明かす。
「当社はさまざまなサービスを展開していて、それぞれがデータベースを持っています。さらに、各データベースを一元管理してメタデータにし、検索できる『Meta Looking』というシステムが整備されています。こうしたデータ環境が整っていたおかげで、スムーズに調査ができました」
リクルートといえば、新しいことに挑戦する積極的な印象を持つ人は多いだろう。ただ、それを支える組織や人事の仕組み、膨大なデータといったアセットがあるからこそ、新規事業が生まれ続けていることにこそ注目したい。『Airキャッシュ』は2022年4月に正式にリリースされたばかりだが、冨田氏は早くも次の展開を見据えている。
「『Airキャッシュ』をさらに便利なものにして、『Airペイ』の一部として進化させていくつもりです。ただ、私たちの目標は、中小事業者の資金に関する煩わしさや不安を解消すること。プロダクトを『Airキャッシュ』に限定する必要はありません。他のやり方も探るべく、複数のプロジェクトを立ち上げています」
新規事業開発を支える仕組みは、すでに整っている。それを生かして、またリクルートならではの新たな価値が生まれることに期待したい。