[Profile] すずき・ただひら 1977年千葉県生まれ。愛知県立熱田高校から名古屋外国語大学へ進学。卒業後、日刊スポーツ新聞社でプロ野球担当記者を16年間経験した。2016年に独立し、19年まで『Number』編集部に所属。現在はフリーで活動している。
野球ファンであれば知らない人はいない「孤高の天才」、落合博満。選手としては、日本プロ野球史上で唯一、三冠王を3度達成した。監督としては、中日ドラゴンズを率いた8年の間に、球団は毎年ペナントレースでAクラス入りし、日本シリーズに5度進出、2007年には日本一に輝いた。
本書は監督時代の落合に中日の番記者として密着した著者によるスポーツドキュメンタリーである。だが実際は、中日選手らのあり方が、落合の人格に触れる中でいかに劇的に変化したかを綴(つづ)る組織と人間変革の物語である。
落合には、「なぜ語らないのか」「なぜ俯(うつむ)いて歩くのか」「なぜいつも独りなのか」「なぜ嫌われるのか」という問いがついて回る。
その一つひとつが禅宗の座禅における問答のようだ。座禅とは仏陀の悟りを追体験しようとするものだ。その際に交わされる禅問答に明確な答えはない。体験は言葉で表現できるものではないからだ。
悟りを開こうとする修行者が苦悩するのと同様に、落合の周りの人々は彼の言葉や行動の意味について煩悶(はんもん)する。落合がそれを示さない以上、自分なりの答えを探し求めるしかない。
著者は落合について、「確かに同じ時を生きたのに、同じものを見て同じことに笑ったはずなのに、その一方で、自分たちとは別世界の理(ことわり)を生きているような鮮烈さと緊張感が消えないのだ。世界の中でそこだけ切り取られたような個」だと書いている。その印象は、初対面のときのまま今も変わらないという。
落合は、引退に追い込まれた最後の年の日本シリーズで敗れる。その最終試合で脱帽し深く一礼した彼の頭上には、観客から嵐のような落合コールが降り注いだ。「お客は勝つところが見たいんだ。勝てばお客は来る」、そう言ってはばからなかった監督が敗れてなおその名を叫ばれるとは、どういうことなのか。
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