私の家は曽祖父、祖父、父とみんな役人で、三菱系の会社にいるのは三菱商事にいる兄くらいだ。父(昭胤)は外交官だったが、田中角栄元首相の秘書官を務め、旧田中派と親しかった。私の母方の祖父は渋沢栄一の次男で、渋沢とも縁続きになる。
父の仕事の関係で10歳から13歳を英国のボーディングスクールで過ごし、帰国後は帰国子女を受け入れていた成蹊中学に入学した。入試のとき母親から「あなたの親戚が建てたのよ」と言われたのを覚えている。成蹊は岩崎小彌太と中村春二先生が設立した学校で卒業生は三菱にも多い。自由な校風で、夏は水球に明け暮れ、英語の配点が高かった慶応大学に進んだ。
就職の相談に行ったのが、三菱銀行(当時)の社外取締役をしていた(三菱本家で)4代目当主の岩崎寛彌氏だ。私は子供の頃からかわいがられた。明るく面白い人で、なかなかの大人物だった。「銀行はつまらないからやめろ」と言われたが、2時間ほど話すうちに、やはり銀行だという結論になり、その場で役員に話を通してくれた。
就職してからも、寛彌氏にはよく食事に連れていってもらった。酒好きで、昼間から東京会館で飲んでいる。寛彌氏が三菱倶楽部で法事をするときは、三菱系の社長衆が全員来ていたので、名刺を交換して一気に知り合いになれた。でも、のちに私が外資系証券会社にいたとき、三菱系の仕事は1つも取れなかった。ビジネスはそんなに甘くはない。
選挙に出たのは首相秘書官だった父の影響もあるが、欧州の支店にいたことも大きい。外から見ていると、1990年代の日本は崖を転げ落ちるようなスピードで衰退していて、先が案じられた。
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