[Profile] ふるがわ・まさひろ/1950年奈良県生まれ。73年大阪大学基礎工学部卒業。民間企業勤務を経て、同志社大学大学院経済学研究科博士後期課程退学。同志社大学経済学部助手、専任講師、助教授を経て、現在同志社大学経済学部教授。専攻は大西洋奴隷貿易史、近代奴隷制史。
西洋近代における奴隷制の全体像を把握できる一冊だ。奴隷貿易の誕生から奴隷制廃止運動まで網羅しているが、本書の白眉は奴隷船にまつわる詳細なデータを提示することで、近代社会の実態を浮き彫りにしたところだろう。
奴隷船はその名のとおり、奴隷を運ぶ船であり、映画や小説で過酷な環境が描かれているように「移動する監獄」であった。
毎日16時間以上、鎖につながれ身動きできずに板の上に寝かされ、2カ月以上も大西洋上を航海する。健康を損なうと「商品」価値が落ちるので、強制的に1日2回食事を与えられ、毎日1時間は甲板上で踊らされた。
奴隷船は大きければ大きいほど輸送効率が高まりそうだが、平均は100トン台半ばだった。600トン超の船が使われていたこともあったが、時代が経つにつれ大型船は減り、18世紀後半には400トン以上は皆無になる。できるだけ多くの奴隷を短期間に集め、船上での奴隷の死亡率を下げるために航海日数を減らそうとしたことで、100~200トンに収束したという。
約400年の間に少なく見積もっても1000万人規模の奴隷が輸送されたが、それは西洋近代を構成するのに奴隷制が不可欠であったことの裏返しでもある。
砂糖、ココア、コーヒー、タバコなどは、生産が拡大すれば奴隷制の拡大に拍車をかけるという矛盾をはらみながら発展してきた。産業革命に奴隷制が大きな役割を果たした一面を本書はあぶり出す。
奴隷貿易は巨額の富を生んだが、奴隷船の航海費用は徹底的にカットされた。象徴的なのが水夫の扱いだ。
水夫は主に奴隷の監視を担うため、出港時には必要だったが、奴隷を荷揚げして母港に戻る段階になると、コストにしかならない。食事を制限されたり、理由もなくむちで打たれたりと過酷な扱いを受け、命を落とした。
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