スポーツ界が揺れている。今度は体操界のパワハラである。
少し前になるが、朝日新聞の社説が「強力なトップの下で、旧態依然の上意下達がまかり通る」スポーツ界共通の体質を批判した。見出しは「前近代的体質と決別を」であった。「旧態依然」「前近代的」といった表現が今の日本でも通用する。
零戦の開発者を主人公にした宮崎駿の映画『風立ちぬ』にこんな場面がある。主人公が特高警察に追われる。恋人からの私信が読まれる事態に「近代国家にあるまじきことだ」と怒りをぶつける。すると上司が大笑いして「日本が近代国家だと思っていたのか」と切り返す。七十数年前の場面である。
単身赴任やサービス残業といった働き方の問題、あるいは企業や官僚の隠蔽体質、「忖度(そんたく)」に見られるように、スポーツ界のみならず日本の至る所で「上意下達がまかり通る体質」が今でも横行する。上下の関係だけでなく、横並びの体質もある。これらは皆、旧態依然とした前近代性の残滓なのか。それとも「日本が近代(国家)だと思う」ことが今でも一笑に付されるのか。
明治以来の日本は「和魂洋才」をモットーに西洋化を近代化と見なし近代化を進めた。それから150年。「旧態依然」には、単なる古さではなく、日本に特有な何か、「和魂」が一貫しているようにさえ見える。
ただし、ここでいう和魂は日本に特有の「精神」の問題ではない。海外からの制度や技術の導入に際し、それを動かすときのミクロな場面で人間関係をつかさどる、ルールのようなものだ。出るくいは打たれる。異論は手控える。予定調和を互いに「主体的に」尊重する関係のルールである。人権尊重や個人の自立といった「近代」の原理原則はタテマエとして導入されても、それを運用する場面ではホンネの人間関係が顔を出す。
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