「ウェバーさんが社長になってから武田に何が起こっているのかまったく見えない。相模原が死んでいることだけはわかるが……」。製薬会社の首脳の一人はそう話す。相模原とは武田薬品工業の旧湘南研究所のことだ。
4月13日、「湘南ヘルスイノベーションパーク」と名称を改めた旧湘南研究所に、クリストフ・ウェバー社長の姿があった。来賓の黒岩祐治神奈川県知事などと開所式のテープカットに臨むためだ。
ここに外部ベンチャーなどの入居を促し、会社や組織を超えた研究者同士の交流や刺激を通じ自社の研究開発の向上にもつなげたいという狙いが武田にはある。
しかし旧湘南研究所(以下、湘南)の実情は、式典の華やかさとは正反対だ。東日本大震災が起きる直前の2011年2月に大阪とつくばの両研究所を集約し、約1200人の研究者などが働く一大拠点として竣工。当時社長の長谷川閑史氏が前任者から託されたのは、糖尿病薬「アクトス」など大型薬の特許切れによる収益の落ち込みを補う新薬の創出だ。湘南はその中心となるはずだった。

だが、事態はすぐに暗転する。有力候補薬の開発に失敗するなど苦戦。すると長谷川氏は、英グラクソ・スミスクライン出身で米国籍の山田忠孝氏を研究開発のトップに据え、研究所の幹部社員などのリストラに踏み切った。
14年にウェバー氏が社長に就くと、仏サノフィなどを経て15年に入社したアンドリュー・プランプ氏と二人三脚で改革を加速。武田が重点を置く3領域のうち、がんと消化器系疾患は米国の研究所に集約し、湘南の地位は相対的に低下した。日本から米国への研究開発者の異動なども行う。会社は「人を減らすのが狙いではない」と説明するが、開発機能の外部への切り出しなども含め、17年3月末時点で1000人の湘南の人員は、3分の1程度にまで減るとの見方もでている。
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