有料会員登録 東洋経済オンラインとは
ライフ #非常時の組織論

「作戦」の発動指示を30年間待ち続けた父 命令する者はその目的と意義を説くべし

3分で読める 有料会員限定

あの小野田寛郎氏がフィリピンのルバング島から帰国したのは、私が9歳のときだった。小野田氏は、任務解除命令が届かなかったため、終戦後29年間も任務を続行し、1974年3月にようやく解除命令を受けて、日本に帰ってきた。

この報道に、日本はもとより世界中から驚愕と賛否の声が上がり、自分の周囲でも話題沸騰だった。ところが、私の父親だけ「普通だろ」と言って、世間の騒ぎを不思議そうに見ていた。

父は小野田氏と同様に陸軍中野学校の出身で、終戦前に初代中華民国総統である蒋介石の暗殺を命じられている。そして、終戦時に任務が解除されなかったため、75年4月5日、蒋介石が台湾で病死するまでの30年間、父はいつ作戦の発動指示を受けても動けるように準備をしていた。

私は、物心つく前から毎週日曜の午後といえば父と近所の廃墟のようなビルに行き、この準備、訓練に付き合わされていた。だから、小野田氏が帰国した74年3月は、まだ、父にとって作戦の発動指示を待っている最中だったのである。

私は、子供の頃から父の生き方を、あの時代の軍人特有のものだと思っていた。「命令は絶対であり、任務解除がないかぎりは、戦争が終わろうが終わるまいが勝手に自分で判断してはいけない」と、軍隊で厳しくたたき込まれたからであろう、と思っていたからだ。

しかし、私自身が自衛隊に入隊し、特殊部隊の創設にかかわり、その部隊員になると、命令というものに対する父の考え方がわかってきた。

命じる者に不可欠な確信

昔は「若い人には想像もつかないだろうけど、命令は絶対で拒否なんかできなかったんだ」と言う人がよくいたが、父は、「自分でやると決めた」と言っていた。拒否できないからではなく、その命令の目的、主旨に納得し、実行する価値を感じたからやるのだという。

こちらの記事もおすすめ

あなたにおすすめ

ライフ

人気記事 HOT

※過去1ヶ月以内に配信した記事の閲覧数