今年1月20日、創立80周年を迎えたこの日。東京ミッドタウンにある富士フイルムホールディングス本社で、古森重隆会長兼CEO(最高経営責任者)はこの10年を振り返っていた。
10年前。写真の世界にもいよいよデジタル化の大波が押し寄せていた。富士フイルムが圧倒的なシェアを誇り、利益の過半を稼いできた写真フィルムが、店頭から消えてなくなる日が迫りつつあった。
当時、古森会長は富士フイルムが置かれている状況をこう例えて、危機意識を社内で共有した。
「トヨタから車がなくなる」
「新日鉄から鉄がなくなる」
まさに本業消失といえる事態だった。勝つどころか生き残れるかすらわからない。ぎりぎりまで追い詰められたところから戦いは始まったのだ。
そして、富士フイルムは生き残った。過去のしがらみを断ち切り、新天地にも果敢にチャレンジした。「破壊と創造」を同時に進め、新たな企業に生まれ変わった。
一方、かつて巨人と呼ばれ富士フイルムが仰ぎ見る存在だった、米イーストマン・コダックは経営破綻した。いったい、何が違っていたのだろうか?
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