2015年5月末、41歳だったルポライターの僕は、右脳に脳梗塞を発症して緊急入院した。
過剰に仕事にのめり込む性格もあり、妻には「過労で倒れるかもしれない」と、いざという時の連絡先リストを渡した矢先のことだった。
発症の3カ月前には長時間の缶詰め作業の後に指が一時的に動かなくなる経験をし、「最悪、脳のトラブルかもしれない」と思いつつも、仕事に集中してしまった。
幸い体のマヒは下半身に及ばず、自立歩行は可能。左上半身の脱力感と左手のマヒ、口の周りやのどの筋肉にマヒが残ったことによる構音(ろれつ)障害が残った。体のマヒは症状が軽度で、入院直後からのリハビリでとてつもない勢いで回復していった。楽だったとまでは言わないが、リハビリにさほどの苦痛が伴ったと思わない。しかし担当医から告げられた「高次脳機能障害」(以下、高次脳)は、大きな苦痛を伴う障害だった。病後1年半経つ現在でも寛解(病状が治まる)に至っていない。
病前に脳梗塞の知識はなく、もし自身が当事者になれば「人生アウト、ゲームセット」という印象。高次脳はボクシングのパンチドランカーのように、脳外傷の結果として認知症の高齢者のような状態になることがある、という半端な認識だった。
実際に自分がなると、塗炭の苦しみを伴う障害だった。さまざまある高次脳を端的に一言でいえば、「病前に当然のようにやれたことが、やれなくなる障害」だ。たとえば記憶すること、集中して複数のことを同時に考えること、数字を計算すること、物の形や位置関係を読み取ること、他者の言葉を聞いて理解し、適切な言葉を選択して返答すること。
高次脳の中でポピュラーな「半側空間無視」では、左側の世界の認知が落ちてしまった。食事をすれば左側に気づかず食べ残し、左側から話しかけられても言葉の意味を理解できない。逆に右側に視線が集中し、それを解除できない症状も現れた。視線の先は赤の他人だったりするわけで完全に変質者だが、わかっていても目がそらせない。走る車から目を離せなければ、車が行き交う道路を渡ることができず立ち往生する。
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