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ライフ #生涯現役の人生学

校正おそるべし 「おのれ」から「おぬし、やるな」へ

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いま私が物を書くうえでいちばん緊張するのが、ゲラに示される校正さんの疑問と指摘だ。

若い編集者の「HP(ホームページ)にはこう書いてありますが」という申し出には、大体反論する。「僕が重く受け止めている資料にはこうあります。もし読者からの疑問等がある場合は、僕のほうで対応しますから、あなたはお忘れください」と資料のコピーを添えて返す。

もちろん「HPの説には応じられない」という意思表示であり、もう一つは若い編集者に対し「安易な検証に頼らずに専門資料も読んでほしい」という、願望の表明でもある。現在のHPの多くは正確で文句の言いようがないのだが、私は私の努力で探索した資料を大切にしたいのだ。もちろんその資料の説が明らかに誤っているときは潔く降参する。

私が緊張するのは「校正から疑問が出ていますが」という切り出しで、「ではないか?」と疑問符をつけ、校正さんが典拠とする資料を添付されたときである。もちろんこっちとしてはまず反論の構えになる。

狭量かもしれないが、私は長い間、校正さんからの指摘を、「物書きとして恥だ」と思ってきた。もちろんこれらのことは、制作の一過程の出来事だから読者には関係ない。しかし私にとってはそういう指摘は、私自身の「不勉強」を指摘されたと受け止めた。だから指摘の是非を検証する前に、まずカッとなった。屈辱感からだ。青い。

この経過をかなり長く経て、加齢とともに考えが変わってきた。一言で言えば「校正さんの指摘を楽しみにする。そして学ぶ」という構えに変わってきたのだ。

「それだけ成長したのだ」などとほかから言われるが、そうではない。今の私は「指摘によって恥をかくところを救われたのだ」と思っている。編集部の一隅でコツコツと地味な仕事に打ち込んでいる校正さんの姿が脳裏に浮かぶ。昔は「おのれ!」と思ったこともある存在が、現在は「おぬし、やるな」と孤高の剣客を思わせるような同志的連帯感を感じさせる。経験ではこういう指摘には全面降伏であり、口ごたえを利いたことは一度もない。

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