考えてみよう。1台のiPhoneを持っているということは、大英博物館やルーブル美術館をポケットに入れて持ち歩いていることに等しいのだ。人類の叡智が、人類史そのものがポケットに入っている。神をポケットサイズにしてしまったと言ってもいいだろう。いまでは誰もが神をポケットに入れて持ち歩いている。これがジョブズの成し遂げたもっとも革新的なことだ。
もう1つ、ジョブズに特徴的なことがある。それは彼が着目したのが人とテクノロジーの接点だったということだ。パーソナル・コンピュータというコンセプトを考えたとき、彼が何よりも重視したのはユーザー・インターフェイスだった。加えてそこに「友だち」という視点を持ち込んだ。ジョブズにとってパーソナルなコンピュータとは、機能的にもデザイン面でも「フレンドリー」なものでなければならなかった。
たとえばビル・ゲイツのマイクロソフトに「友だち」という発想はない。彼らが相手にしているのは無人格的な顧客であり、企業や法人である。一方、友をもてなすという態度で個人にアクセスすることを考えたのはアップルであり、とりわけジョブズである。個人の心にアクセスできるのは「シンク・ディファレント」のような魅力的な物語であり、デザインという美である。ジョブズには両方の才能があった。そして物語と美を首尾よくビジネスに結び付けることができた。つまり彼のビジネス感覚は最初から個人へ向かうものだったと言える。
ジョブズは「友だち」に勧められるものに絞った
だからジョブズにとって、自分たちが送り出す製品はただ売れればいいというものではなかった。本心から「友だち」に勧められるものでなければならない。アップルが製品の種類を増やすことに、彼は一貫して反対したと言われる。大切な「友だち」に届ける製品が、そう何種類も作れるわけがないということだろう。どの製品も自分(たち)が精魂を込めて作ったものでなければならない。販売店のニーズにあわせて作るようなものであってはならない。
ゲイツはそんなことは考えないだろう。彼にとって製品の種類はいくら多くてもいい。むしろハードウェアの選択肢は多いほどいい。現にIBMのPC互換機の登場をきっかけに、デルをはじめとするさまざまなハードウェア・メーカーが製造に乗り出し、パーソナル・コンピュータはあっという間にコモディティ化してしまう。これらのメーカーにオペレーティング・システムを積極的にライセンスすることで、ウィンドウズは一時期90%以上のシェアを占める。市場シェアの拡大だけを念頭に置けば、ジョブズのやり方はかならずしも正しいとは言えないのだ。