地震と津波と原発事故によって、ソーシャル・キャピタル(社会関係資本)の脆弱さと、各人が覆い隠してきた「寄る辺なさ」が露呈しただけである。多様な社会関係から切り離され、安らげる場所がない者ほど、見知らぬ他者が提供する「刺激的な物語」や、現在の境遇を逆転させる「別様の現実」に傾倒しやすくなる。これは自尊心を守るためのいわば「適応の一形態」でもあるのだ。
アメリカの科学雑誌『ディスカバー』は、陰謀論を唱えやすい集団には、「社会経済的地位の低い人々、排除されている人々、人生が手に負えないと感じている人々が含まれる」と指摘し、これらの集団の数はコロナ禍が始まって以降増加していると述べている(Why the Pandemic is Turning So Many People into Conspiracy Theorists/2020年5月12日/DISCOVER)。
陰謀論は社会的排除に対する「完璧な解毒剤」
ここで紹介されている社会心理学者ダニエル・ジョリーの分析は特筆に値する。彼は、陰謀論が社会的排除に対する「完璧な解毒剤」として機能していると看破している。つまり、自分たちは他の真実を知らない人々と違って、「水面下で何が進行しているかを正確に理解している」、換言すれば、「特別な情報にアクセスできている自分たちは特別な存在(これはかなり単純なトートロジー=同語反復なのだが)」と信じることによって傷ついた自尊感情を救済するのである。
しかしこれは、情報格差による地位の優越と考えれば、何ら珍しい話ではない。Aは、BがCとつるんでDの失脚を画策していることを知っているが、Gはそれを知らずにCにDの情報を漏らしているということがよくあるが、仮にそれが嘘の情報であったとしても「自分は知っている」という優越性、それに基づくコントロールの可能性を握っていることこそが自尊心の一部に与するからだ。
「コロナはフェイクだ」「パンデミックは嘘っぱち」――このような物言いに飛びつくのは、コロナ禍でパニックに陥った世界全体を嘲笑することができるステージへと素早く上昇し、悪意のある何者かによる陰謀というハリウッド映画さながらのドラマティックな物語性を生きることができるからである。
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