翌日から大森さんは、毎日病院へ通った。父親は寝たきり状態で、全介助が必要だった。食事やトイレは看護師さんがやってくれるが、人手不足なため、いつもいてくれるわけではない。のどが渇いたときや身体を起こしたいとき、布団をかけてほしいときなど、父親がしてほしいことをそばで聞き、母親と交代でサポートする。毎日朝10時から18時まで父親に付き添い、時には看護師に代わり、食事の介助もした。
「高熱が出たり、血圧が変動したり、正直急性期の頃は毎日生きた心地がしませんでした。でも、今まで育ててもらった恩返しや、親孝行ができるのは今しかないと思ったし、何より、自分が後悔したくないので、できる限りのことはしたいと思いました」
いても立ってもいられず、医師の言葉や検査結果はメモし、ネットで調べたり、本を買って勉強したりした結果、検査の数値を聞くと父親の今の状態がわかるように。しかしその反面、ハラハラすることも増えた。2カ月後、父親は左半身にマヒが残ってしまったため、リハビリ病院へ転院することが決まった。
妻に異動の打診があった
大森さんは現在、30代の妻と未就学児の息子の3人暮らし。同じ職場で知り合った奥さんは、産後、産休・育休を経て、0才児から保育園に預け、仕事に復帰している。ところが、復帰して数カ月ほど経った頃、奥さんに会社から異動の打診があった。
「現在の事業所より少し遠くなりますが、自分の成長のためにも、絶対に受けたほうがいいと思いました。もちろん強制ではないですが、会社は妻が適任だと思って選んだわけですからチャンスです。私はどうしても受けさせてあげたかったし、時間に縛られない働き方をしてほしかった。だから『家事・育児はするから、受けなよ』と言ったんです」
その日から大森さんは、家事全般に取り組み始めた。大学時代に4年間ひとり暮らしをしていたので、掃除や洗濯くらいはすぐにでもできた。しかし、当時はまったく自炊をせず、外食やコンビニ弁当ばかり。料理は0からのスタートだった。
「息子にはやっぱり身体にいいものを食べさせたかったので、料理はクックパッドなどを見て覚えました。得意料理は、トマトから作るミートソーススパゲティです」
ミートソーススパゲティは、息子や奥さんにも好評なのだという。
大森さんも仕事をしており、夫婦の収入は同じくらいだが、何かあったときに優先するのは、大森さんは家事・育児、奥さんは仕事という役割分担をしている。
大森さんは毎日朝7時に起床し、息子に朝ごはんを食べさせ、身支度を済ませると、保育園へ送っていく。その後出勤して仕事をし、17時には退社。息子を保育園に迎えに行き、買い物をし、夕飯の支度をしつつ、洗濯や翌日の保育園の準備をして夕食。お風呂を済ませ、息子を寝かせたら、ようやく自分の時間となる。
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