パリの家には、なぜ「カーテン」がないのか 知らない人との出会いは、多様性との出会い

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ただ、カーテンなしで済ませる生活は庶民ならでは、という説もあります。そして、高級住宅街のパリ16区やヌイイ・シュール・セーヌの邸宅にはカーテンがあります。古いアパルトマンを見てみると、窓に目隠し・防寒・遮光を兼ねた鎧戸(よろいど)が備え付けられているので、庶民の暮らしには伝統的にカーテンが必要なかったのかもしれません。

そして、日本もかつては開放的に暮らしていました。東京オリンピックがあった1964年、映画『三丁目の夕日』ではありませんが、あの頃の日本はまだいわゆる高度成長の手前で貧しかったはずです。農村地帯に限らず、東京の下町などでも玄関に鍵などなく、夏などはまさに開けっぴろげ。ドアではなく戸をガラガラと開けながら「こんにちは」とあいさつして入っていました。あまりに牧歌的とも思えますが、“向こう三軒両隣”という環境が自然な形で信頼関係を形成していたのでしょう。

「知らない人には話さない」現代日本人は大丈夫?

一方、現代の日本では、“向こう3軒”どころか、マンション規約で住人同士のあいさつを禁止するところもあると聞きました。ご近所関係が疎遠になって見ず知らずの人が隣に住んでいる、というよりは、あえて「見ず知らずでいよう」「積極的にかかわらないのが無難」という考え方があるのでしょう。面倒な人間関係に巻き込まれたくない気持ちはわからないこともありませんが、自ら自閉的なたこつぼにはまり込んでしまったようにも思えます。ひょっとしたら、こうした考え方のパターンが反映されて、世の中が殺伐としてくるのかもしれません。

ご近所関係に限らず、私が子どもの頃は、見ず知らずの人とでもたわいのない会話が始まったものです。私は親の方針で小学校から大学の教養課程まで14年間、ずっと片道1時間半の遠距離通学をしていました。失ったものと培われたもの、どっちがどうとは言いませんが、今の私の対人感性の基盤となっていることは確かです。その最たるものが、電車の中での「通りすがりの人たちとの出会いと会話」だったように思います。誰とでも胸襟を開いて話せる、という人懐っこさが私にあるとしたら、まさにその経験からやってきているものです。

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ウィル・スミス主演の映画『素晴らしきかな、人生』では、“Collateral Beauty”という見ず知らずの人からもらった言葉が原題になっています。この言葉で悲しみのどん底から救われるということがあるのです。パリのマダムもムッシューも、一見つっけんどんですが、エレベーターで、バス停で、ちゃんと目が合えばまずはニコッとボンジュール。時にしゃれたユーモアを飛ばし合います。

今どきの子どもは、「知らない人と口をきいてはいけません」と言われて育っているのでしょう。犯罪に巻き込まれる危険性もゼロではないし、ヘンな人というのも確かにいるわけですが、たこつぼから出て、ヘンな人を含む人間の多様性をまったく学習せずに大人になるという潔癖性が貫かれてしまうというのも、いかがなものでしょうか。

小さい頃、「神様仏様は人の姿を借りて現れる」と祖母から教わりました。人との出会いとは、神仏との出会い、世界の多様性との出会いです。かつての世の中では、この出会いを幸せに持ち込む、そこに含まれる「リスク」も僥倖としてとらえるという大らかな度量があったと思うのです。

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