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時には、「父」のない子のように
憲法からパチンコまで、「成熟と喪失」の戦後日本文化史

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日本国憲法は、いまも「12歳の少年」か

著者:與那覇潤(歴史学者、愛知県立大学准教授) 撮影:今井康一

もちろん狙って制定されたわけではなかろうが、5月3日の憲法記念日(日本国憲法施行の日)と、5日の「こどもの日」(端午の節句)が連休として並びあっているのには、奇妙な符合を感じる。

前者では例年、護憲・改憲それぞれの陣営が集会を開いて、年来の主張を絶叫することがしきたりとなっているが、マッカーサーという父親に「押しつけられた」憲法を改正し、他国と同様の再軍備を達成して一人前の国家とならないかぎり、日本は「こども」のままだとする種類の言説は、自主憲法制定を唱える人々の決まり文句であった。

首相をはじめとする現政権の性格からすると、本年は連休が明けてからも、かような言い回しを耳にする日々が続きそうである。

一般に知られるところでは、かようにアメリカを父・日本を子と見なして後者の「成熟」を説くメタファーは、おそらく帰国後の1951年に米国上院での答弁で、マッカーサーが日本を「12歳の少年」に喩えたあたりに端を発していよう。

改憲派の論客で、最もこの問題に深く向きあったのは文藝批評家の江藤淳だった。

1967年の代表作『成熟と喪失 “母”の崩壊』では種々の小説の家族・風景描写を素材としつつ、再軍備うんぬん以前に日本にとっては「近代化」そのものが、故郷の母なる自然との一体感を喪失することを通じて、対外的に一人前の男性として認められる存在になることを目指すという、苦痛に満ちた成熟の過程であったことを論じている。

そう考えると「昭和の日」の制定で、自然愛護をうたう「みどりの日」が2007年より4月29日から転じて5月4日となったことにも、皮肉な思いを禁じえない。

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【国家も個人も囚われた、「父親」という幻想】

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