7月19日、三菱マテリアルは、同社の前身である三菱鉱業が第2次世界大戦中に経営していた銅鉱山での「非人間的な」状態において労働を強いられた、米国人元捕虜に対して公式な謝罪を表明するという画期的な一歩を踏み出した。この謝罪は、日本の大企業による最初のものだ。
大戦中、推定1万2000人の米国人捕虜が日本政府や民間企業により労働を強いられた。三菱マテリアルの木村光常務が、ロサンゼルスのサイモン・ウィーゼンタール・センターで催された式典で謝罪を表明した。
木村常務は、「大変厳しい苦難」の状態において労働を強いられた推定900人の捕虜に対し「深い悔恨を含む謝罪」を表明した。社外取締役である岡本行夫氏も出席し、「許しを求めながら、重い気持ちをもってこの部屋に入った。三菱マテリアルは、もっと早く謝罪しなかったことに対しても謝罪しなければならない」と述べた。
今回、私が話を聞いた岡本氏は、岡本アソシエイツ代表取締役。1968~1991年の間、職業外交官として務めた経験を生かし、主要企業に対して政治経済に関する戦略的アドバイスを提供している。現在、岡本氏は、太平洋戦争終結70周年を記念して8月に公表される首相談話について助言を行う、安倍晋三首相が任命をした16人で構成される、委員会の委員を務めている。
なぜ三菱マテリアルは賠償を行うのか
――三菱マテリアルは、どのようにして米国人捕虜への謝罪、中国人強制労働者に対する賠償を行う決定に至ったのか。
三菱マテリアルは、米国人捕虜から提訴されて以来、この問題に真剣に取り組むために、広範な調査を行ってきた。元捕虜が置かれた境遇には心から同情をするところがあり、誠実に対応しなければならないと思ってきた。この時点で「日本政府や民間企業に対するあらゆる請求は1951年のサンフランシスコ平和条約により解決済み」との政府の公式な立場の陰に隠れてはならないと思った。
私達は、謝罪を含め円満な解決に至ることを望み、米国の仲介者を通じて捕虜と連絡を取ろうとした。しかし、考慮すべき多くの要素があった。多くの部外者がさまざまなことを言ったこともあり、目標とは遠い形になった。
その後、昨年の初めに、ロサンゼルスのサイモン・ウィーゼンタール・センターと連携しているボランティアから別のアプローチがあった。それは「捕虜 日米の対話」代表の徳留絹枝氏からのものだ。三菱マテリアルは、それまでの調査から、真摯にこの問題に向き合わなければならないことを認識していたため、謝罪表明の要求に応じることを決めた。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら