ある意味「猪木を越えた」棚橋弘至がそう語るワケ 結局「ストロングスタイル」とは何だったのか?

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棚橋弘至選手が考える「猪木越え」とは?(撮影:今井康一)
故・アントニオ猪木氏が創立し、2022年に50周年を迎えた新日本プロレス。名実ともに業界を牽引する存在だが、2000年代は人気選手の離脱、地上波放送の短縮、総合格闘技ブームに押されるなどして、冬の時代だった。
そんななか、新日本プロレスを再び盛り上げるべく、奮闘し続けてきたひとりが棚橋弘至選手だ。当時の思いや人気のV字回復を支えた行動、さらに「引退」のタイミングまで明かしてくれた。
前回記事:アントニオ猪木を睨みつけた"逸材"が今語ること

それでも新日本を辞めなかった理由

――2000年代から新日本プロレスの人気が低迷していったとされていますが、所属レスラーとしてどのような気持ちでしたか?

1980年代は闘魂三銃士(武藤敬司、橋本真也、蝶野正洋)の人気があり、1990年代には東京ドームでの興行をバンバン打てるようになったほど盛り上がっていました。僕が入門した1999年もよかったけれど、2000年代に入ってから2008年くらいまではずっと(人気も観客動員数も)下降線だった。きつかったですね。

――他団体から移籍の打診もあったそうですが、棚橋さんが新日本から出なかったのはなぜでしょう?

新日本プロレスが好きだったからです。好きで入ったので、「ここでトップを獲るまでは辞めねえ」と思っていましたね。それに、僕がスターになれば、(観客が減っていた会場も)すぐ満員になるだろうと思っていましたし。

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