「反リベラリズム」が、日本を息苦しくしている

「日本のリベラリズムの危機」を考える<3>

満州事変の発端となった柳条湖事件の現場に「九・一八歴史博物館」が建っている。2014年9月18日には83年目の式典が行われた(写真:新華社/アフロ)
ジェフリー・キングストン氏は日本在住のリベラルな視点を持つ政治学者。メディアへの寄稿も多い。安倍晋三首相に対して批判的な同氏は、天皇の1月1日の新年所感に注目した。明確に「満州事変」について言及したからだ。
天皇のこの発言を政治利用してはならない。メディアがことさら、その意味を詮索することも、ある意味では政治利用の類だ。しかし、天皇発言は一般国民の認識、東アジアにおけるコンセンサスとかい離しているわけではなく、これを起点に戦後史を考えることは有意義と判断し、キングストン氏の論評を3話連続で掲載する。(編集部)

 

前回の記事 歴史修正主義はアジアの分裂をもたらす

前々回の記事 天皇は、なぜ「満州事変」に言及したのか

 

再び満州事変について振り返っておこう。同事変は、日本が国際システムの枠内で活動することを放棄し、軍部による侵略を通じて中国での利益の追求を決意したという意味でひとつの転換点と考えられている。関東軍は、クーデターを起こし、敵意を扇動して満州を征服することによって政府の公式方針に逆らったのだと考えられている。文民統制に対するこの公然たる挑戦が、軍部による権力掌握への意欲を刺激し、国内における権威主義と国外に対する侵略へと日本を突き動かす契機となったのだ。

学者はしばしば1930年代を暗闇の谷と呼ぶ。1932年の犬養首相暗殺は、リベラリストが、過激な右翼主義者の暴力の標的となったこの時代をとりわけ象徴する事件だろう。この事件の背景には、当時の政府がロンドン海軍軍縮条約を支持し、日本海軍の予算を削減しようとしたこと、さらにさかのぼれば、関東軍による満州国の傀儡政権に対する正式な外交上の承認を保留したことなどがあった。

このように、満州事変によりアジアにおける日本の暴虐、そして日本が自ら招いた惨劇が始まった。その惨劇こそが、天皇が新年の言葉で触れたあらゆる苦痛をもたらしたのだ。

天皇の父方の祖先は朝鮮半島から渡来

天皇の言葉に対する反応はメディアではあまり取り上げられておらず、どれほどの日本人がこの件を知っているのかはわからない。だが、それは珍しいことではない。2001年に、天皇の父方の祖先(桓武天皇の生母)が朝鮮半島から渡来したことについて天皇が発言した際、この発言を取り上げたのは朝日新聞だけだった。韓国の新聞が天皇のこの発言を賞賛すると、このことは日本でも大きく報道された。韓国メディアが日本を褒めるのは異例だからだ。

しかし、この時に韓国から好意的な反応があった理由を理解していたのは朝日新聞の購読者だけかもしれない。対外強硬主義的な他の新聞社は、読者の多くが読みたがらない記事をあえて取り上げるようとはしなかったからだ。この当時、日本と韓国は2002年FIFAワールドカップの共催国となることが決まっており、天皇のこうした告白は友愛と協力の感情を促進するために計画されたものと思われた。

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