過剰な管理が生み出す「正常病」とは? 『つくられる病』を書いた井上芳保氏に聞く

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──医療ムラですか。

森鴎外がドイツにあって日本にないものの一つとして、シュトレーバー(出世主義者)を卑しむという習慣を挙げている。これは今も続き、経済や技術だけではなく、教育や学問、芸術、そして医療においても、その日本人の行動様式は残っている。その結果、とかく閉じた世界でやっていく。既得権益を守ろうとする力がそれだけ強ければ問題にする勢力は出てこない。心地よいその狭い世界の中で評価し評価される。そして自分の本当の役割、責任倫理は忘れ去られていく。

──精神医療では「べてるの家」に触れていますね。

北海道の襟裳岬に近い浦河町にある。札幌からバスで行くと3時間半近くかかる。精神疾患のある人たちが、スタッフを含めて150人ほどで地域で普通に生活することを目指す試みを展開中だ。いわゆる「べてる本」がいくつも刊行されていて、マスメディアも好意的に取り上げる。正常病への抵抗として興味深いが別の問題も発生している。今度は病気に居座り続けなければならなくなっていることだ。障害者年金や生活保護もあって、「病」が手放せなくなっている。これはイタリアの精神医療改革とは似て非なるものではないか。

──イタリアの精神医療改革とは。

既得権益に立てこもらずに本当に精神医療をよくしていくために何ができるのか。精神科医のフランコ・バザーリアやそれを支持した人たちは真摯に考えたのだろう。精神科病院そのものをなくした。新規入院をやめたのが1978年。その後、徐々に入院患者数を少なくして99年に廃絶に至った。

──なぜ病院をなくしたのですか。

簡単にいえば、病院という環境は精神疾患の治療に向かないからだ。この改革は「脱施設化」ではなくて「脱制度化」なのだ。施設とは制度が空間的に実現された形だ。肝心なのは制度を変えること。単に患者を病院という施設の外に出したのではなく、医者らスタッフも一緒に病院という制度の外に出た。

医療側と患者側という固定的な関係性をなくした。医療の特別視をやめ、それを食事や娯楽を楽しんだりするのと同じ、生活の一部という位置づけにまで低めた。イタリアの改革は、医師たちが文字どおりの意味で「降りていく」選択をしたものだ。患者は治療やケアを、地域ごとに設けられた精神衛生センターで受けている。

──日本では医療を大産業にしていこうという動きが主流です。

職域の中で利得が追求され、特に医療が絡んでいると圧倒的に正当性を持ってしまう。自分たちの利得を優先的に考え、病院は潰せないとして、ほかの領域ではそれがどういう効果を生むか、なかなか横断的に考えない。狭い世界での医療が続く。

──正常病から脱出するには。

キーワードの一つは自律だ。ここまで制度化された医療が浸透してくる前は、普通の生活者が自分の知恵を持っていた。進化医学が言っていることと重なるが、自然治癒力の知恵を近代化された医療は失っているのではないか。下痢も必要だから起きているので、それを無理に止めることはない。そうした知識自体が医療者からも奪われているのではあるまいか。

塚田 紀史 東洋経済 記者

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つかだ のりふみ / Norifumi Tsukada

電気機器、金属製品などの業界を担当

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