「飯舘村」が目指している意外な村の在り方 新たな生き方を提示できる村を目指して

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田尾陽一(たお・よういち)/1941年生まれ。東京大学理学部大学院物理専攻修士課程修了。数々のIT企業を経営。セコム取締役、工学院大学客員教授を務め、社会システムデザインの研究など多岐にわたり活動。2011年「ふくしま再生の会」創設。翻訳書・共著など著作も多数。(撮影:尾形文繁)
2011年、震災で福島第一原子力発電所事故が起きた際、東京で引退生活を送っていたが、研究者仲間とネットで連絡を取り合い、被災地へ向かう。以後、福島県飯舘村へ放射線測定や除染に通い、2017年4月、避難指示が解除されると村へ移住した。『飯館村からの挑戦――自然との共生をめざして』を書いた認定NPO法人「ふくしま再生の会」の田尾陽一理事長に最近の活動などについて聞いた。

事故現場に対処するのにデータがこない

──事故2週間後に向かった茨城県東海村は混乱のさなかでした。

物理学をやっていた身として、何が起きているのか純粋に知りたい気持ちでした。僕自身4歳の時に広島市の隣村で原爆を見ているから、放射線には因縁があります。

東海村の日本原子力研究開発機構は建物が壊れ真っ暗だった。何も手が付けられてない状態で、事故現場に対処するのにデータが東京電力から送られてこない、と。原子力村の中枢に情報がないという、驚くべき事態です。翌日、高校の先輩で親しくしていた与謝野馨さん(当時大臣)の事務所へ飛んでいった。すぐ各方面へ指令が飛び、やっと回り出しました。

──各地を回り、原発から30キロメートルの飯舘村に拠点を置かれたのは?

初めて飯舘村へ入った日、専業農家の菅野宗夫さん(現ふくしま再生の会副理事長)と出会ったのが大きかった。息子さん一家は村外に避難して、じいさんと奥さんと3人、6月には牛を処分し自分たちも避難するということだったけど、「あなた方が来るなら、その時間に私も戻って付き合うよ」と言ってくれた。田んぼ、山林、牧場、どこからどう着手するか等々、問題は山積み。でも一緒にやろうという村民がいるんだから、やっちゃおうという感じで。

──放射線測定や除染では、独自のやり方を次々編み出しました。

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