「英語工場の看板」を取り替えよう [対談]大西泰斗×斉藤淳の英語勉強法(5)
もう「読むだけの英語」は使い途がない
斉藤:大西先生の本を最初に読んだのは、たぶん1995年ごろ、『ネイティブスピーカーの英文法』ですね。
当時、私は大学院生だったのですが、ある塾で中高生に英語を教えていました。どうも日本の文法書っていうのは誤りも多いし、ごく普通の表現を深く理解するという発想に立っていない。
「『大学入試というパズル』を解くヒントを陳列したような、使えない教材ばかりだな……」と思っていたところに大西先生の本が登場して、「探してたのはこれだ!」と感激しました。
また、イェールの教壇に立っていた頃に、ちょっと知識があいまいだなと感じたときは、先生の『一億人の英文法』にもずいぶんとお世話になりました。
そういう意味で、こうして約20年越しになると思うんですけれども、著者である大西先生に直接お会いできる機会をいただけて、光栄に思っています。
大西:ありがとうございます。ご著書、拝見しました。英語学習の重要なヒントが散りばめられており、楽しく読ませていただきました。斉藤先生のように「実用英語」と向かい合っている方々が「学校英語」に大きな問題を感じるのは、ごく当然の成り行きだと思うんですよ。学校英語の目標は伝統的に「読む」ことにあったのですから。
日本の英語教育は、中国の古典を日本語として書き下す「漢文訓読法」の延長線上にあります。「make +O(…) + 原形動詞は『…に~させる』という意味です」式の教育。英語を日本語として書き下すこのテクニックは、英語を読むだけならそれほど悪い方法ではありません。読解問題+少々の文法問題という現在の受験問題傾向にも対応できるでしょう。ですが、実用レベルで話すには無力です。つまるところ、「日本語に置き換える方法」しか学んでいないのですから。
斉藤:おっしゃるとおりだと思いますね。
大西:もう時代は変わったのです。話せない英語で商談をまとめることはできない。従業員に指示を出すことはできない。空港から出ることすら難しい。読むだけの英語は使い途がない。そのことを、われわれ英語教育に携わる者は自覚する必要があります。
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