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全国各地に魅力的な
観光コンテンツを開発

JTBグループでは世界中で、人と人、人とモノの交流を促進する仕組みを作る「交流文化事業」に取り組んでいる。人、モノが移動し、交流が生まれることで地域経済とまちが活性化すると考えているからだ。

では、どうすれば人やモノが動くのか。そのカギが「感動」である。その地域でしか体験できない希少性、満足度の高い価値あるコンテンツで、人の心に響く感動を呼ぶストーリーを作り上げるのだ。それも地元をよく知る地域の人々が、自主的に魅力を見いだすことを第一に、あくまでJTBグループは“磨きをかける手伝い”に徹する。そこには、多くの顧客と向き合い続けてきたJTBグループのノウハウが凝縮されており、コンテンツに本物の輝きを持たせる重要なポイントなのだという。

地域の宝を磨き上げ、多くの観光客が訪れるようになった星の村、長野県阿智村。これを一過性の流行で終わらせることなく、継続して人を呼び込むことができるよう地域で使える通貨「スターコイン」を発行するなど、さまざまな仕掛けづくりをいまも地元が一体となって続けている

「星空を見た旅人が、あまりの美しさに感動して涙を流した」。もはや「星の村」との呼び名が定着した感のある長野県・阿智村も、この地元の人のエピソードがきっかけとなり全国的に有名になったと言っても過言ではない。実際、環境省の全国星空継続観測で「星が最も輝いて観える場所」第一位(06年)に認定されたこともあった。これをまちの宝として生かし、「日本一の星空ナイトツアー」を開始したのが4年前。今では年間6万人超が訪れ、全国の自治体からも視察が殺到するまちになっている。

現在、阿智村では、地域通貨「スターコイン」の発行や、阿智村の歴史・天体などに関する知識を問う「阿智村スターマイスター認定試験」の創設など、村をあげて阿智村のブランドづくりとファン獲得に励んでいる。一過性の流行に終わらせることなく、継続して地域の活性化を図るための仕掛けづくりだ。地元主体だから取り組みも続き、一生懸命だからこそ感動が生まれるのだろう。

一方、北海道で取り組みが進んでいるのは、北海道各地にある酒蔵を巡るスタンプラリー「パ酒ポート」だ。日本酒、ワイン、ウイスキーなど酒類の枠組みを超えて「道産酒」を盛り上げ、より多くの人にお酒と地元の食を味わってほしいという酒造メーカーの願いから端を発したプロジェクトだが、旅に欠かせない食、その感動をもっと大きくしようという試みである。

参加する二十数社の酒造メーカーから、さまざまな特典を受けられたり、訪問した酒蔵の数に応じてプレゼントに応募できるこのスタンプラリーは12 年に始まり、年々参加者が増加。企画スタートから4年で「パ酒ポート」の発行部数は9000部を超え、「全酒造所制覇認定書」が授与された人は12~15年度合計で約600人(15年11月現在)にのぼる。「パ酒ポート」を販売する店舗も拡大。紀伊国屋、三省堂などの大手書店、TSUTAYA、amazonなどでの取り扱いも始まった。また、今秋から静岡県が「パ酒ポート」を始めるなど、北海道の成功に続く新たな動きが出てきている。

しかも、「英語版パ酒ポート」が発行されたことで、13年から増加傾向にある訪日外国人の心もつかんでいる。

15年9月には、農林水産省の都市農村共生・対流総合対策交付金を活用し、ニセコで「道産酒」と地元の食を世界に発信するイベント「酒FES」も開催。さらに、JTBグループのネットワークを介して「道産酒」の販路を海外へ拡大する事業も始まった。

4月には “オール北海道”の熱心な活動が評価され、農林水産省からの呼びかけで、国の事業として欧米のセレブが集まるリゾート地、スペインのイビサ島で輸出の足掛かりとなる「道産酒」の展示会も実施。地域の宝が世界へ飛び立とうとしている。

【受け継がれるSpirit2
JTB&杉原千畝

杉原千畝という名を、誰もが一度は聞いたことがあるに違いない。第二次世界大戦中、ナチスドイツに迫害されていたユダヤ人を救うため日本通過ビザを発行し続けた外交官である。彼が救った命は約6000名。いまや、そのビザは「命のビザ」と呼ばれているが、このユダヤ人の避難をJTBグループの前身、ジャパン・ツーリスト・ビューローが助けたことはあまり知られていない。

杉原のビザを手にしたユダヤ人の多くは、シベリア鉄道で大陸を横断し、海を渡り日本、そこから世界各地へと脱出し命をつないだ。彼らの大陸から日本への輸送を担ったのが同社だったのだ。日本にとってドイツは重要な友好国だった当時、彼らを手助けすることには大きな懸念もあったが人道的見地から引き受けると決断したのである。

だが、その道のりは険しかった。冬場、大時化の日本海を縦断するのは体力的にも忍耐が必要だったからである。言葉の壁もあった。そうした中、ユダヤ人たちに寄り添いながら輸送を行ったジャパン・ツーリスト・ビューローの職員たち。先輩を誇りに思う心は、いまJTBグループ社員のホスピタリティの支えとなっている。

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