二子玉川では、旧二子玉川園の跡地を含む約11.2haで2つの再開発事業が進み、2010(平成22)年に第1期、2015(平成27)年に第2期が竣工した。
2つの街の間にある桜新町では、市街地再開発事業は実施されていない。渋谷から10分、1日7万人が乗り降りする駅(東急電鉄公式サイト/2025年度)の周辺は、なぜ再開発されないのか。後編では街の成り立ちをたどりながら、その理由を考えてみたい。
「東京の軽井沢」と呼ばれた新町住宅地
桜新町は、「サザエさん通り」と呼ばれる商店街が街のシンボルだが、ほかに大きく3つの顔を持っている。まず駅の南側、サザエさん通りを歩いた先に広がる「新町住宅地」だ。
新町住宅地は、東京信託が1912(大正元)年から山林を切り拓き、翌1913年に分譲をはじめた。範囲は現在の深沢7・8丁目と桜新町1丁目の南半分で、面積は約23万㎡。田園都市株式会社が、洗足や田園調布での高級住宅地開発に着手するよりも数年前のことである。閑静な住宅地である新町住宅地は「東京の軽井沢」と呼ばれた。
住宅地の骨格は、Y字型に延びる道路だった。道路の両側には1000本あまりのソメイヨシノが植えられたと言われており、のちに名付けられた「桜新町」という駅名や地名の由来となる。
道路が計画的に整えられ、派出所や浴場、商店までそろえた「文化的住宅地」として売り出された。東京信託が分譲時に制作した『新町郊外生活』というパンフレットには、郊外である田園都市での理想の生活が謳われている。
移り住んできた人たちは、軍人、特に海軍軍人が多かったという。エリートで高所得な人たちが住む場所となったのだ。そのため玉川電車の新町停留所(のちの桜新町駅)には人力車が置かれ、車引きの人が新町住宅地へ向かう人々を運んだ。また周辺の農家では、トマトやみつばなどの新しい野菜が早くから栽培されたそうだ。


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