本作で一例を挙げるなら、高瀬川の過去の栄光を唯一覚えている元付き人・大森直人(上川周作)が、かつて受けたひどい仕打ちに逆上する場面が印象的だ。いわゆる「パワハラ」「モラハラ」問題を掘り起こし、ここぞとばかりに高瀬川を追い詰める大森の姿は、悲劇的でありながら思わず笑ってしまう痛快さもある。
老害、物価高、番組制作費の縮小、過去のスキャンダルによる炎上など、現代社会を映し出す題材も少なくない。興味深いのは、こうした問題を単なる時事ネタとして消費するのではなく、高瀬川が再起を図るうえでの障害として物語に組み込んでいる点だ。
社会の変化に取り残された男の滑稽さを描きながら、その笑いが生まれる背景にも目を向けさせる。加えて、シェイクスピア劇や時代劇、配信ドラマ、横山剣の楽曲、『相席食堂』(ABCテレビ)など、多彩な要素が盛り込まれているのも本作の面白さだ。
特にドラマ撮影や演劇にまつわるセリフには、長らく芝居の世界で活動してきた宮藤ならではの説得力があった。また、かねて宮藤作品を支えてきたプロデューサー・磯山晶氏とのタッグも、本作の魅力を支えている。
ラジオと演劇で培った感覚
“クドカン”こと宮藤官九郎の創作を考えるうえで注目したいのは、人物の描き方だ。主人公だけでなく、脇役にもそれぞれの事情や欲望を与え、時に身勝手で傲慢な言動さえも笑いに変えていく。その感覚は、どのように培われてきたのだろうか。
宮藤の笑いの原点と言えば、学生時代に熱中したラジオ番組が思い浮かぶ。特に『ビートたけしのオールナイトニッポン』(ニッポン放送)の虜になり、毎週のように企画コーナーにハガキを投稿。たけし軍団に入ることを熱望していただけでなく、ビートたけしのトークに合いの手を入れていた放送作家・高田文夫にも憧れていた。
高校1年の冬には、高田が司会を務める地元・宮城の番組『マル金ギャハハ倶楽部』(仙台放送)の素人オーディションに友人と参加。高田の前でコントを披露し、前半はそれなりにウケていたものの、後半でパンツを下ろして強制終了になったという。何とも男子校出身者らしいエピソードだ。<高田文夫著『誰も書けなかった「笑芸論」』(講談社文庫)解説より>
高校卒業後、高田と同じ日本大学芸術学部放送学科に進学した宮藤は、さまざまな演劇公演を観る中で、松尾スズキ主宰の劇団「大人計画」に惹かれ、91年から演出助手として参加する。


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