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粗品「スポニチへ」声明に大御所芸能記者が反論し物議…「越えてはならぬ一線が確実にあります」見解に感じた"痛切な疑問"

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霜降り明星の粗品氏
芸能人とメディアの力関係は大きく変化してきた(写真:つのだよしお/アフロ)
  • 徳重 龍徳 コラムニスト、エンタメ評論家
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また粗品がメディアに強硬な姿勢を見せたのは初めてではない。2025年12月には自身の発言を曲解されたとしてオリコンニュースに記事削除を要求し、記事はその後削除された。

中西氏は今回、粗品が自分の言葉で発表したかった気持ちを理解しつつ「ただ、気持ちが分かることと、粗品さんの要求に応じることの間には越えてはならぬ一線が確実にあります」と指摘している。

そのスクープ内容に社会的意義はあるのか?

粗品はテレビに加え、YouTubeでも大きな影響力を持つ。その力を背景に記事の取り下げを迫ることは、確かに一種の圧力にはなり得る。

有力な芸能人が同じ要求を繰り返せば、取材や出演協力を失うことを恐れたメディアが自主規制に向かうおそれがある。そうした前例をつくりかねないことを危惧した発言だろう。

一方で、報道する内容は果たしてどうだったかも考えたい。

年末にテレビの特番が放送されるというのは、いずれ正式に発表される情報だ。その発表方法も、関係者はより効果的なタイミングで考えていたかもしれない。芸能記者にとっては「スクープ」でも、関係者にとっては余計なこととも言える。

また視聴者からすれば、番組の予定は正式発表で知っても困らない情報だ。果たしてより早く知ることに、どれほどの価値があるのか。番組の存在を隠すことで不利益を被る人がいるわけでもなく、発表を待つことが社会的な問題につながるとも考えにくい。これを権力監視のためのスクープと同じ文脈で語ることに、違和感を覚える人もいるだろう。

実際に中西氏の記事には、SNS上で「芸能記者の自己正当化ではないか」といった批判も出た。

実業家のけんすう氏は自身のCXを通じて、メディアへの嫌悪感にとらわれず本質を見極めるべきだという中西氏の記述を引用し「『大晦日にこんな番組をやるよ』を、発表に向けて色々準備してきた人たちに対して、スクープで出すことって、本当にこの本質を追求するためなのか?」と問いかけた。

けんすう氏の投稿には、権力を監視する報道と芸能スクープは区別して考えるべきだとする反応も寄せられた。

この指摘も理解できる。組織の不正を暴くスクープと、いずれ発表される番組情報を先取りするスクープは、同じ「スクープ」でもやはり意味合いが違う。

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