有料会員登録
ライフ

「日本って城壁少なっ」と気づいてから「地形」や「城下町」の違いもわかって「歴史」や「地理」にみるみるハマった話

8分で読める
勉強
知識がつながると勉強が面白くなる瞬間が訪れます(写真:zon/PIXTA)
  • 西岡 壱誠 一般財団法人ドラゴン桜財団代表理事・ドラゴン桜2編集担当
2/4 PAGES
3/4 PAGES

堀とは、地面を掘って造った溝のことです。そこに水を引き入れれば、敵が簡単には渡れない守りになります。

日本は雨が多く、川もたくさんあるので、水を確保するのが比較的簡単でした。だから日本では、高い壁を積み上げるよりも、深い溝を掘って水を満たすほうが合理的だったと考えられます。

日本人の感覚からすると、「お城には堀があるもの」と思いがちですが、世界的に見ると、日本ほど水堀が発達した城はそれほど多くないと言われています。乾燥した地域では、そもそも堀を満たすだけの水を用意するのが難しいからです。

水が手に入りやすい日本だからこそ、堀という守り方が発達したのだと考えられます。

壁は「上に積む」守り、堀は「下に掘る」守りです。上に積んだものは地震で崩れるかもしれませんが、掘った溝が崩れて消えてしまうことはまずありません。こう考えると、地震の話とも筋が通りますよね。

「堀」を重視していた姫路城

その代表例が、世界遺産の姫路城です。姫路城といえば真っ白で美しい天守が有名ですが、本当にすごいのは守りの仕組みなんです。

かつての姫路城は、内堀・中堀・外堀という3重の堀に囲まれていて、その総延長は10キロを超えていたと言われています。

しかもこの3つの堀は螺旋のようにつながっていて、天守にたどり着くには、ぐるぐると回りながら進まなければなりませんでした。この「螺旋式」の造りは、江戸城と姫路城にしか見られないものだそうです。

ここで、先ほどのイスタンブールと比べてみると面白いです。テオドシウスの城壁は、陸側を何重もの壁で守る造りで、「難攻不落」と恐れられました。

イスタンブールは「壁」を何重にも重ね、姫路城は「堀」を何重にも重ねた。同じ「守りを重ねる」という発想でも、その土地の条件によって選ぶ手段がまったく違うんですね。

さらに面白いのは、外堀と中堀の間には町人の家やお寺があったということです。

つまり姫路城の堀は、城だけではなく、城下町ごと囲んでいたわけです。

実は、日本にも街を囲む守りがまったくなかったわけではありません。

4/4 PAGES

こちらの記事もおすすめ

あなたにおすすめ

ライフ

人気記事 HOT

※過去1ヶ月以内に配信した記事の閲覧数