堀とは、地面を掘って造った溝のことです。そこに水を引き入れれば、敵が簡単には渡れない守りになります。
日本は雨が多く、川もたくさんあるので、水を確保するのが比較的簡単でした。だから日本では、高い壁を積み上げるよりも、深い溝を掘って水を満たすほうが合理的だったと考えられます。
日本人の感覚からすると、「お城には堀があるもの」と思いがちですが、世界的に見ると、日本ほど水堀が発達した城はそれほど多くないと言われています。乾燥した地域では、そもそも堀を満たすだけの水を用意するのが難しいからです。
水が手に入りやすい日本だからこそ、堀という守り方が発達したのだと考えられます。
壁は「上に積む」守り、堀は「下に掘る」守りです。上に積んだものは地震で崩れるかもしれませんが、掘った溝が崩れて消えてしまうことはまずありません。こう考えると、地震の話とも筋が通りますよね。
「堀」を重視していた姫路城
その代表例が、世界遺産の姫路城です。姫路城といえば真っ白で美しい天守が有名ですが、本当にすごいのは守りの仕組みなんです。
かつての姫路城は、内堀・中堀・外堀という3重の堀に囲まれていて、その総延長は10キロを超えていたと言われています。
しかもこの3つの堀は螺旋のようにつながっていて、天守にたどり着くには、ぐるぐると回りながら進まなければなりませんでした。この「螺旋式」の造りは、江戸城と姫路城にしか見られないものだそうです。
ここで、先ほどのイスタンブールと比べてみると面白いです。テオドシウスの城壁は、陸側を何重もの壁で守る造りで、「難攻不落」と恐れられました。
イスタンブールは「壁」を何重にも重ね、姫路城は「堀」を何重にも重ねた。同じ「守りを重ねる」という発想でも、その土地の条件によって選ぶ手段がまったく違うんですね。
さらに面白いのは、外堀と中堀の間には町人の家やお寺があったということです。
つまり姫路城の堀は、城だけではなく、城下町ごと囲んでいたわけです。
実は、日本にも街を囲む守りがまったくなかったわけではありません。


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