たとえばイラクのバグダッドには、今でも中世の城壁の門が残っています。
イタリアのローマには、3世紀に皇帝アウレリアヌスが造らせた全長約19キロの「アウレリアヌス城壁」が今もあちこちに残っていますし、さらに古い「セルウィウス城壁」の一部はローマ・テルミニ駅のすぐそばで見ることができます。
トルコのイスタンブールには5世紀に造られた「テオドシウスの城壁」があり、世界遺産の一部になっています。エジプトのカイロでも、11世紀のファーティマ朝の城壁の門である「ズウェーラ門」が今も残っています。
一方、日本はどうでしょうか。
平安京は中国の長安をお手本にして造られましたが、長安が城壁でぐるりと囲まれていたのに対して、平安京には街全体を囲む城壁はありませんでした。都の正門である羅城門の左右に、ほんの少しだけ壁があった程度だと考えられています。江戸城にも立派な石垣はありますが、江戸の街全体を囲む城壁はありませんでした。
では、なぜ日本には城壁が少ないのでしょうか?
日本人だと、壁のない街が当たり前すぎて、こんな疑問を持つことすらないと思います。でも、「当たり前」を疑ってみると、そこから意外な答えが見えてくるものです。
この問いを考えるには、まず「そもそも城壁は何のために造るのか」を考える必要があります。言うまでもなく、戦争が起きたときに外敵から身を守るためです。壁が高ければ、敵が入ってくるのを防げます。
ここで大事なのは、城壁が特に必要になるのは「周りが平原の地域」だということです。平原だと、敵は東西南北どこからでも攻めてきます。四方を守るには、ぐるりと壁を造るしかありません。
地形の問題も大きく絡む?
一方、日本は山と川が非常に多い国です。山を背にすれば後ろは守れますし、海や川を前に置けば、敵は簡単には近づけません。わざわざ人の手で壁を造らなくても、自然の地形そのものを守りに使えたわけです。
平安京も、東・北・西の三方を山に囲まれた盆地にあります。地形がすでに「天然の城壁」になっていたと考えることができます。鎌倉幕府が置かれた鎌倉も、三方を山に、残る一方を海に囲まれた土地でした。
日本の権力者たちは、壁を造るよりも「守りやすい地形を選ぶ」ことで身を守ってきたのかもしれません。
もう1つ、地震の影響を考える説もあります。日本は世界有数の地震大国です。高い壁を造っても、大きな地震が来たら崩れてしまうかもしれません。崩れた壁は守りの役に立たないうえに、それ自体が危険です。
実際、イスタンブールのテオドシウスの城壁も、完成から30年ほど後の447年に大地震で大きく壊れたという記録が残っています。地震の多い日本で高い壁を造り、それを維持し続けるのは、かなり大変なことだったでしょう。
では、日本の城はどうやって身を守っていたのか。その答えが「堀」です。


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