久が原駅は開業時、末広駅という名称だったが、末広駅と言ってもわからないということで、28(昭和3)年に東調布駅となっていた。その後、前述のとおり目黒蒲田電鉄が久が原の土地を売り出すにあたって、「東調布では売れない」との理由で36(昭和11)年に久ヶ原駅に改称され、66(昭和41)年に久が原駅に変わっている。
『久ヶ原貸住宅地平面図』には「高燥閑雅ノ住宅地」と記されている。高台に位置していて日当たりや風通しが良く、周囲は静かで品格のある住宅地であるということだ。
また40(昭和15)年ごろの久が原の住宅と暮らしについて、「周辺の居住者は会社の重役が多かった。(中略)毎日久が原周辺の商店が御用聞きに来ていた」との記録もある。(『大田区の文化財 第28集』1992.3)
久が原は、戦前すでに高級住宅地となっていたのだ。
高級住宅地は戦後も続く
そして、高級住宅地は戦後にも受け継がれていく。
75(昭和50)年の読売新聞には、「[新築]久が原超豪邸」「都内屈指の高級住宅地<大田区久が原>」と書かれた分譲住宅の広告が掲載されている。(『読売新聞』1975.5.22)78(昭和53)年にも「眼前に田園調布や多摩川が見おろせる城南の緑濃い高台の高級住宅街」とうたい、久が原の分譲地を売り出す広告がある。(『読売新聞』1978.2.17)
94(平成6)年に東京商工リサーチが実施した調査によると、全国52万628社の社長の居住地ランキングで久が原は6位につけている。1位は久が原と同じ大田区で、言わずと知れた高級住宅地の田園調布だ。(『日本経済新聞』1994.9.27)
久が原は田園調布に及ばずとも、大田区の高級住宅地として歴史を歩んできたのだ。
だが、久が原にはまた違った顔を持つエリアもある。
久が原台地は呑川の方面へ坂が下っており、台地と呑川の間の一部のエリアは道が曲がりくねっている。このあたりは、江戸時代に六郷領久ヶ原村と馬込領久ヶ原村の2つの村の集落が形成されており、農家が密集していたために耕地整理が進まなかったのだ。


※ログイン後、コメント入力が可能です。