さらに、呑川に近い地域は水害を被りやすかったために宅地化が遅れた。戦後になって商店街が形成され、住宅が建つようになった。川に近いこのエリアは1戸当たりの敷地が狭めで、3階建て、駐車場は1台分といったコンパクトな戸建てが散見される。
再開発を必要とする理由がない
久が原台地の上には、耕地整理で整えられた区画に広い敷地の戸建てが並ぶ。駅名を変えてまで「高燥閑雅ノ住宅地」を売り出してから1世紀近く、久が原は良好な住宅地を保ち続けてきた。
2万年前に人々がこの台地を選んだように、久が原の街並みは今も、地形と歴史の上に静かに成り立っている。
交通結節点ではないから、再開発の経済的な合理性がない。区画が整っているから、行政が手を入れる大義がない。高級住宅地だから、住民も変化を望まない。久が原が再開発されないのは、再開発を必要とする理由がないからである。
大田区史編さん委員会『大田区史 資料編 民俗』1983.8
大田区史編さん委員会『大田区史 上巻』1985.10
大田区史編さん委員会『大田区史 下巻』1996.3
全国信用金庫協会『信用金庫』1998.6
東京都大田区教育委員会社会教育部社会教育課『大田区の文化財 第28集(大田区の近代建築 住宅編 2)』1992.3
東京都大田区教育委員会社会教育部社会教育課『大田区の文化財 第29集』1993.3
大田区史編さん室『史誌 大田区史研究40』1994.8
福島富士子『生活関連施設整備からみた戦前期東京郊外の私鉄による沿線住宅地開発の研究 東京横浜電鉄を例として』1998
坂上正一『発掘写真で訪ねる大田区古地図散歩 明治・大正・昭和の街角』2019.11


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