高台のため動物や他の人々の集団の動きが見やすく、台地の下には生活用水となるわき水が出ていることから、一時的なキャンプ地として暮らしが営まれていた。
縄文時代前期になると久が原台地には集落が誕生し始め、弥生時代後期には、大規模な集落が形成された。その住居跡は、1000軒を超えると考えられている。
久が原台地を歩きながら、2万年、数千年も前から人々の生活が営まれていたと想像すると、なんとも不思議な気持ちになる。
伊藤博文が訪れた料亭の歴史
時が下り江戸時代、久が原は六郷領久ヶ原村と馬込領久ヶ原村の2つに分けられていた。住民は六郷領を「原」、馬込領を「向」と呼んだ。
1878(明治11)年に久ヶ原村は一村にまとめられたが、原と向それぞれの村民意識は強く、祭礼を別々に行っていたという。原の鎮守は西部八幡神社、向の鎮守は東部八幡神社で、歩いて5分くらい離れた場所に位置している。


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