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ライフ #再開発されない街

「大田区の三大高級住宅街の一角」「住民が反対して池上線が迂回」…田園調布に並ぶ「大田区で金持ちが住む街」の実態

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久が原駅
大田区の「久が原」はどんな街?(写真:筆者撮影)
  • 坪川 うた ショッピングセンター研究家・ライター
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高台のため動物や他の人々の集団の動きが見やすく、台地の下には生活用水となるわき水が出ていることから、一時的なキャンプ地として暮らしが営まれていた。

これらの旧石器人の生活を物語る「久原小学校内遺跡」のある久原小学校(写真:筆者撮影)

縄文時代前期になると久が原台地には集落が誕生し始め、弥生時代後期には、大規模な集落が形成された。その住居跡は、1000軒を超えると考えられている。

弥生時代後期から古墳時代にかけての竪穴住居跡が発見された久が原南台児童公園(写真:筆者撮影)

久が原台地を歩きながら、2万年、数千年も前から人々の生活が営まれていたと想像すると、なんとも不思議な気持ちになる。

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時が下り江戸時代、久が原は六郷領久ヶ原村と馬込領久ヶ原村の2つに分けられていた。住民は六郷領を「原」、馬込領を「向」と呼んだ。

1878(明治11)年に久ヶ原村は一村にまとめられたが、原と向それぞれの村民意識は強く、祭礼を別々に行っていたという。原の鎮守は西部八幡神社、向の鎮守は東部八幡神社で、歩いて5分くらい離れた場所に位置している。

久が原西部八幡神社。公園があり、子どもたちの元気な声が響いていた(写真:筆者撮影)
久が原東部八幡神社。こちらは閑静であった(写真:筆者撮影)
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