集団主義における「集団」は、生まれた場所や所属する組織によって強制的に与えられるものでした。
会社の飲み会や社内旅行などの強制参加のイベントがしょっちゅう行われ、嫌な上司や価値観の合わない同期とも嫌々付き合う必要があったのです。
ところが、恋愛が下火になっているのと同じ理由で、このような受動的な人間関係に苦しむ時代は今、終わりを迎えつつあるのだと私は思います。
拙著『「誘える人」がぜんぶ手に入れる』(ディスカヴァー・トゥエンティワンより2026年7月刊)では、「自主的に他者とのつながりをつくろう」ということを主張しました。
望まない関係を嫌々続けるよりも、自分が必要とする心地よい人間関係を主体的に築いていく、いわば人間関係を「自炊」するための本なのですが、つながりが強制ではなくなりつつある今、こうした主体的で能動的なスタンスこそが、つながりと自主性のジレンマを解決してくれるのだと思います。
強制的なつながりを与えられないということは、裏を返せば、今のこの社会では主体的に人間関係を築けない人は孤独に陥りがちともいえるでしょう。
会社という組織が与えてくれた人間関係しか持っていない男性が、定年したあとに誰ともつながれないというケースをよく耳にします。
以前は老後の寂しさを紛らわしてくれるものとして孫との関係がありましたが、少子化の現代ではそれも、確実に与えられるわけではありません。
「つながり」と「自主性」を両立させる
本書にも書かれていますが、解決策の一つは、それぞれの「自主性」を保ちながら「つながり」を持つことです。
私の趣味であるテニスでいえば、同じテニスというスポーツを楽しめる相手であれば、私も楽しめて相手も楽しめるので、お互いに自主性を尊重しつつ、つながることができます。
昔はテニスをするにはクラブやサークルに入る必要がありましたが、今では「テニスベア」というマッチングアプリのおかげで、知らない人とでもすぐにテニスを楽しむことができます。維持にコストのかかる集団をつくらずとも、誰かとゆるくつながれるわけです。
テクノロジーのおかげで、強制的でなく苦しくもない、自分にとって心地よいつながりを主体的に築くことが可能になり、しがらみや苦痛だらけの「ネガティブなつながり」から解放される世界が、ついに実現しつつあるのかもしれません。


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